日本郵船のバーテンダーが
昭和15年に創業したサロン的空間
昭和15年(1940)創業、来年80周年を迎える。白いダブルのバーコートに身を包んだマスターの吉田均氏は、創業者である作次郎氏の孫にあたる。
「祖父は客船の客室係を経て、横浜・馬車道にあった『スぺリオ』というアメリカ人が営むバーで働いていました。そこから独立して、このバーを開いたんです」
その後は祖母、母が継ぎ、スナックの形態に。平成11年(1999)に均氏が継ぐのを機に再びバーとなる。
「でも祖母の時代の名残りはあちこちにあるんですよ」と教えてくれたのがコースター。素朴なサメのイラストは、当時通っていた東京大学の教授がイタズラで描いたもの。
そして、入口の「東髙クラブ」の看板は、この店へ集った旧制東京高等学校の卒業生が贈ってくれたもので、今もそのお孫さんが店に通っているという。
マスターが語る貴重な昔語り。それも人を引きつける魅力である。
文/沼 由美子 写真/秋 武生