Q1.古代エジプトの酒とは?

紀元前3000年頃には、醸造酒であるビールやワインが造られ飲用されていた。ビールの原料となるパンの製造、ビール製造、ブドウ栽培、ワイン製造の様子を描いた壁画が古代遺跡から見つかっている。

Q2.ビールを造る原料は?

古代エジプトのビールに使われた主原料は発掘されたビール壷や周辺に残された穀物から明らかになっている。古王国時代には大麦麦芽及びエンマー小麦が使用されていた。ホップは使われなかった。

Q3.いつ頃、蒸留酒は生まれた?

錬金術が4世紀頃エジプトで盛んになり、9〜12世紀頃に蒸留技術がスペインに伝わって以降といわれている。13世紀以降に中国の白酒(パイチョウ)、14世紀後半に沖縄の泡盛も誕生した。

同じ原料から造られるビールとウイスキー誕生秘話

人間とアルコール飲料との出会いがいつの時代だったのか、明確にはわかっていない。

紀元前1万1000年頃、人間が麦を採取し、パンに加工して食べるようになった、さらに紀元前8500年前頃、麦を栽培して食用にするようになったあたりには、もうビールの原型ができていたようだ。

今から5000年前、すなわち紀元前3000〜2500年前頃まで下ると、古代メソポタミアやエジプトでビール製造が盛んになったことが、考古学資料から確実に明らかになってくる。

エジプトの遺跡の壁画には、2300年前頃のビール造りの製法が描かれている。それによれば麦を脱穀して挽いた粉に水を加え、こねてパンを作る。できたパンを焼きあげてから甕の中の湯に溶かし、蓋をして発酵させる。ブドウやナツメヤシの果汁を加えたともいう。これで古代エジプトビールの出来上がりだ。

ナツメヤシの果実はデーツと呼ばれ、古代エジプトでは古くから栽培され、紀元前1300年頃にはナツメヤシの酒も売られていたようである。ツタンカーメン王墓からは白ワインも見つかっている。

ホップは加えないため、液体のパンともいえるドロッとしたもので泡も立たないが、これが当時は貴重な栄養源であり、財源でもあった。

ピラミッド建設で労働した民衆にもビールが支給された。労働後にパンを食べ、ビールで疲れを癒すのが彼らの一日では最大の楽しみであったようだ。現存する王墓建設の職人の出勤簿には「二日酔い」という欠勤理由が刻まれたものがある。

ビールのほか、すでにワインもあったが、いずれも醸造酒で、当時の方法では醸造酒しかできなかったのは当然のことであった。これらの酒を蒸留酒へと変えたのが、錬金術であった。錬金術は卑金属を金などの貴金属に変えることができるとされた技術のことで、4世紀頃エジプトで盛んになり、地中海沿岸を通じて中世にはスペインへ広まった。

ある時、錬金術用の道具に酒を入れてみると、アルコール度数の高い強烈な液体が偶然生まれ、そこから蒸留酒が誕生した。錬金術師たちはその酒をラテン語で『Aqua Vitae(生命の水)』と呼び、不老長寿の秘薬として珍重したという。

「賢者の石を求める錬金術師」賢者の石とは、中世ヨーロッパの錬金術師が、鉛などの卑金属を金に変える際の触媒となると信じられていた霊薬のこと。/ジョセフ・ライトの絵画

蒸留酒の製法はスペインからフランスに渡り、白ワインからコニャックなどのブランデーが生み出された。諸説あるが、これがアイルランドを経てスコットランドに到達し、ビールが蒸留されて、スコッチウイスキーの誕生へとつながったとされる。

初期の蒸留器とは?

中世の錬金術師によって確立され、アクアヴィテ(生命の水)と呼ばれた蒸留酒の技術。その原型とみられるものが、メソポタミアのテペ・ガウラ遺跡から見つかった紀元前3500年頃前の香料用の蒸留器である。

蒸留器(アランビック)は、液体を蒸発と凝固により分離する装置のことで、2つの容器を管で接続したものである。植物の精油、アルコール、蒸留水、化学物質を得る手段として重用された。

文◎上永哲矢

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