戦後以降の新宿と共にある
老舗ならではの風格
どれすでんのオープンの話が持ち上がったのは昭和6、7年(1931、1932)頃だという。しかし時は、満州事変が勃発し、犬養毅首相が暗殺された五・一五事件が起きた政情不安の時代。やがて戦争が勃発し、オープンの話は頓挫。
そうして「どれすでん」の名称で新宿にクラブ形式の店がオープンしたのは昭和26年(1951)。店名はドイツのフィレンツェと称される古都・ドレスデンから取ったものだ。
「ドレスデンの優雅な街の景観を愛した当時の経営者が名付けたのでしょう。店は当時、現在の場所の1階にありました。この年が正式な創業年ですので、今年で68年になります」と、店長の宮ノ腰誠氏は語る。
新宿一帯は太平洋戦争による空襲で焦土と化した。その傷跡をまだ残していた時代のことで、町の復興は進んだが、非合法の市場である闇市の面影が残り、赤線や青線もまだあった。
どれすでんは戦後の歌舞伎町の変遷と発展を見続けてきたといっていい。ビルの建て替えによって地上の店舗から現在の地下に移ったのは、東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)だという。
「当時はキャバレーのような接客をしていたようです。今のママが務めた始めた昭和50年代頃には、すでに現在のようなバーの形式となっていたといいます」
そう語る宮ノ腰氏が入社したのは今から33年前の昭和61年(1986)。
すでに店内は現在の姿になっていた。その店内を見回すと、カウンターや壁などに年月の流れを感じさせる風格が漂っている。
「当時も今も、堅苦しさのない、アットホームなお客様との関係が続いています。昔は私が作った水割りにダメ出しをして、作り直しを要望されたお客様がいました。その厳しさがありがたかったですね」
現在、どれすでんでは28歳になる青年もバーテンダーを務めているが、大学卒業後すぐに入社したのだという。彼は、歴史を感じさせる、どれすでんの風格がいいのだと言った。68年の歴史を誇るどれすでん。今こうして、さらに新たな歴史を刻んでいこうとしている。
文/相庭 泰志 写真/黒田 雄一