那須七湯のひとつ板室温泉に放つ個性 アーティスティックな宿

那珂川のほとりに温泉宿が建ち並ぶ板室温泉の湯治場の雰囲気溢れる温泉街。秋の色づきも終わ
って静かな雰囲気に

錦秋に染まっていた山々が少しずつその衣を脱ぎ捨てると、木々の幹や枝のフォルムがくっきりと浮かび上がってくる。ちょっと淋しげでもあるが、落葉樹の裸木はどこかアーティスティック。木の根元に積もったふかふかの落ち葉の絨緞も美しく気持ちがいい。間もなく雪が舞い降りる時季を迎えると、さらに景色は幻想と静寂さを増してくることだろう。

実は妻も私もこの季節が一番好きだ。そんな風景が見たくなって、久しぶりに晩秋の那須高原へと車を走らせていた。茶臼岳(ちゃうすだけ)を主峰とする那須連山一帯は紅葉の名所として知られるが、また温泉があちこちに湧出するエリアでもあり、温泉好きの私たち夫妻が時々足を運ぶお気に入りの場所。静けさを取り戻した時だからこそ、旅も温泉もゆっくりと愉しめる。

今回選んだ温泉地は、那須七湯のひとつに数えられる板室(いたむろ)温泉。茶臼岳に近い湯本温泉付近から南西へ10㎞ほど離れた那珂川上流の山あいにあり、古くは塩沢温泉と呼ばれ湯治場として賑わった。開湯は平安時代まで溯り、効能の素晴らしさは“ 下野(しもつけ)の薬湯”と称されるほど。昭和46年(1971)には国民保養温泉地に指定されている。

温泉街は歓楽的な要素は一切なく、那珂川の清流沿いに宿が点在する湯治場らしいのどかな風情。小規模で個性的な宿が多いが、なかでも予約を入れた「ONSEN RYOKAN 山喜」は、その名前が示すように、温泉街のなかでもより独特の雰囲気を放っている。

まず目を引くのが小さな美術館を思わせるスタイリッシュな外観。一見すると温泉宿とは思えない造りで、階段を上って玄関へと続くアプローチも温泉が階段状に流れ落ちる仕掛けになっている。さらに玄関へと誘う蔵戸のような扉、中庭には苔庭+盆栽風の植木を配し、見上げた先の大きなガラスの壁もモダンで印象深い。

「日常から非日常へと気分が切り替わるような工夫をしてみました」と語る三代目主人の山口忠孝さん。実は11年前に完全建て替えをした際、自ら建物内外のコンセプトデザインを手がけたという。「先代までは、山喜荘という昔ながらの湯治宿でしたが、私が引き継いだのをきっかけに新しい湯治スタイルの宿へと転換してみました。気持ちのいい空間で心も体もゆっくり休める宿を目指しました」。“ONSEN RYOKAN”とローマ字にしたのもその意味合いがあるという。

“和・敬・静・寂”の精神で心安らぐおもてなしを

赤々と薪ストーブが燃えるロビーに入り、抹茶とお菓子をいただきながらチェックイン。冷えた体にストーブの出迎えは温かく、「やっぱり薪ストーブはいいね。炎を見ているだけで癒されるな」。薪ストーブが欲しい私はそう心の中でつぶやいてみた。

開放感のある2階への階段を上がり客室へ。廊下など所々に飾られたアート作品もセンスの良さをうかがわせる。今宵は「桃」と記された部屋が私たちのお籠もり部屋だ。客室は全8室。モダンデザインの座卓を配したリビングと、畳にふかふかの寝具を敷いたスタイルが基本だが(ベッド式の部屋もあり)、部屋の造りや雰囲気はそれぞれ異なり、2部屋には檜湯船の浴室が付いている。共通しているのは木の温もりと珪藻土(けいそうど)の壁、土佐和紙の天井など、自然素材を随所に使っていること。部屋に入った瞬間からほっと心安らぐのは、その素材にもあるのだろう。

「“和・敬・静・寂”をおもてなしの精神にしています」と山口さん。和=温泉や寝具の心地良さ。敬=料理など地元素材を敬う。静=自然素材の内装と静寂さ。寂=侘びさびの心で接客。ちなみに当宿は昨年、環境大臣賞を受けている。

無垢材や珪藻土、土佐和紙など自然素材を使った心地いい客室。部屋ごとに雰囲気や間取りなどが異なる。

板室温泉の湯力を堪能し、地産地消の美味に舌鼓

内風呂の浴槽の綱は板室温泉の伝統的な入浴法を再現したもの

さて、部屋でひと休みしたところで作務衣に着替えて温泉へ。浴室は男女に分かれ20時で暖簾を架け替えるが、22時から深夜0時まではそれぞれ貸切り利用もできる。大きさはほぼ同じで内湯と露天風呂が設えられ、いずれも24時間源泉かけ流しだ。浴室に足を踏み入れると、床が石にもかかわらずふわりと温かい。温泉熱で床暖房にしているそうで、手触りのいい石は湯船と共に地元の芦野石を使用しているという。

その湯船を満たしているのは、無色透明のアルカリ性単純泉。体を滑り込ませると湯船の縁を越えて湯があふれ出た。「ほぉ~」と思わず声がこぼれてしまうのは気持良さに体が溶けてしまいそうだから。40℃前後のややぬるめの湯は、ゆっくり長く浸かるのにちょうどいい。浴室に本(防水加工された)が置いてあるのは、湯に浸かって読書を楽しむという趣向だ。ふと、内風呂の角から綱が下がっていることに気がついた。しかもここだけ湯船が深いのである。聞けば、板室温泉特有の入浴方法“綱の湯”を再現したものだとか。上から垂れた綱につかまって深度のある湯船に浸かるのだが、立って入浴することで体に負担が少なく特に関節痛などにいいのだそう。

もうひとつの大浴場もほぼ同じ広さ。夜10時~12時は貸し切りできる。

お腹もすっかりすいたところでお待ちかねの夕食である。食事は個室式の食事処に用意される。最初に供された彩り豊かな前菜と共に生ビールでまずは乾杯。宿が掲げる“敬”の精神を生かした地産地消の料理の数々は、その後も松茸の土瓶蒸し、お造りの大岩魚の洗い、鍋物の栃木産牛巻狩鋤焼(まきがりすきやき)などが頃合いを見計らって登場。すき焼の“巻狩”とは、地元で秋に行われる「那須野巻狩まつり」の大鍋料理を模した料理だそう。肉を口に含んだ瞬間に浮かぶ至福の2文字。栃木牛の旨味、柔らかさを堪能できる逸品だ。

6種類の栃木県の地酒の中から3種を選べる利き酒セット(1000円)。最初は辛口の特別純米「大那」、甘口の純米吟醸「鳳凰美田」、純米大吟醸「惣誉」の3種を選んで飲み比べた。

妻は栃木の地酒の飲み比べセットを注文し、「この料理にはこの辛口のお酒が合うわねぇ」などといつもより饒舌で嬉しそう。「久しぶりのふたり旅だからね」と私。食後は館内の「バー宙(そら)」に移動し、もう少しお酒を飲みながらゆっくり会話を楽しもうか……。

「バー宙」(利用は予約制)でカクテルタイム。バーテンダー経験のある大森孝弘さんが作ってく
れたのはラムベースのカクテル(1000円~)。

文/岩谷雪美 撮影/秋 武生