刻々と変わる海の色を日がな楽しむ海辺の宿

車窓に広がる真っ青な海の向こうに、遠く近く、島影が見える。高く澄んだ初冬の空と海の美しさに、目が覚めるようだった。

「鳥羽には何年ぶりに来たかしら」
妻がそう呟いて窓を開ける。冷たい潮風が頬にあたり、暖房で倦んだ車内の空気を洗い流してゆく。

「一緒に来たのは、確かもう5年以上前じゃない? あの時は雨で何も見えなかったけど、今日は最高の天気で良かったね」

名古屋駅でレンタカーを借り、2時間半ほどのドライブを楽しんでやってきた海辺の町。仕事が立て込んで心も体も固まっていた妻を見て、久しぶりの温泉旅行を提案したのだった。

快諾を得て、早速、露天風呂付きの宿を予約したのが1カ月ほど前のこと。とにかく、広々とした風景に包まれて休ませてあげたかったのだ。

ラウンジの先に用意されたテラスからは、鳥羽湾を一望できる。

鳥羽市街を抜け、高台からカーブの坂道を下っていくと、再び正面に海が現れる。その手前に目指す宿があった。平屋の離れが海に面した傾斜地の縁に連なっている。

海の色のように青く染め抜かれた暖簾を潜ると、ロビーの正面にも海が見えた。目の前の島は坂手島です、と自家製クッキーとお茶を持って来てくれたスタッフが教えてくれる。壁一面の窓の向こうにはテラスが続いていた。

「ビールサーバーもあるわ」と、声を弾ませる妻。テラスの手前には12種類のハーブティーやおつまみが並ぶ小さなカウンター。16時と21時からの2時間、自由に楽しめるという。

テラスとロビー、食事処があるこのセンターハウスを挟んで両側に、5つずつ客室がある。白藍に錆浅葱、群青、瑠璃、縹と、それぞれに青色の和名が付けられており、各室に温泉が満ちる露天風呂と内湯がある。足湯がある部屋やダイニングスペースがある部屋など、少しずつ造りが違うという。

私たちの部屋は両方が付いた“千草”。ゆったりとしたベッドと飛騨・柏木工の家具が置かれたリビングの先に出ると、坂手島と海が遮るものなく見える。

「いい眺めだなぁ。早く温泉に入ってさ、生ビール飲みに行こう」

急かす私を横目に、妻はしばらくテラスの足湯でのんびりと過ごした。温泉は津市の社宮司温泉から運んできているそうだ。滑らかな湯は無色透明のアルカリ泉。肌がしっとりと潤うと、妻。

露天風呂を楽しんだ後は、センターハウスのテラスで夕暮れのひと時を過ごした。昔バイトでやってたからうまく入れられるぞ、と威張る私が注いだ、泡がだいぶ多いビールに苦笑いされつつ、並んでグラスを傾ける。紫と金が混じった宵闇が落ちてくると、鳥羽の街明かりが星のように見えた。

「すごい。こんなきれいな風景を毎日、家から見られたら最高ね」と嬉しそうに妻が言う。

夕食が入らなくなると思っても、美しい風景を前にしてはつい、ビールが進んでしまう。久しぶりに日の入りをじっくりと堪能して部屋に戻ると、ダイニングテーブルいっぱいに今夜の食事が並んでいた。わぁ! とふたりして思わず歓声を上げてしまう。

この日の八寸には合鴨ロースや茸胡麻よごし、白身魚としめじの包み揚げなどが並ぶ。三重の銘酒と共に。

伊勢エビにアワビ、タイ、牡丹エビが乗った地魚のお造りやカンパチのしゃぶしゃぶなど、いかにも海辺の宿らしい豪快な料理。これは日本酒だよなぁと頷き合い、リストを見る。

あまり日本酒のイメージがない三重県だが、実は名張の「爾今」や鈴鹿の「作」など、日本酒好きには知られた銘酒の蔵元が多く造られている。一番人気だという作の純米酒・穂乃智をお願いして、乾杯。

洋皿の「刻オリジナル アランチーニ」はライスコロッケ。
小鍋立はカンパチのつゆしゃぶ仕立て。塩ポン酢でいただく。
松阪牛の陶板焼き。黒にんにく塩かステーキソースを付けて。

聞けば、宿のオーナーは鳥羽の中でも海女さんが多い漁師町・相差の生まれ。40年前にそこで民宿を始め、以来、海の幸が旨い民宿として知られようになったそうだ。平成20年(2008)、鳥羽の高台に「季さら」を造り、今年この宿をオープンさせたという。

「あ、相差って確か石神さんがあるところよ。前の旅行の時に寄ったの、覚えてない?」
「あ、あそこか。女性の願いをひとつだけ叶えてくれるっていう神社だったっけ。行ったね」
「うん、雨だったけどね。何をお願いしたのか、忘れちゃったけど」

いい加減な参拝だなぁと笑い合って、それじゃあ魚が旨いはずだよねと、頷く。心地良く酔いが回り、お腹もいっぱいになった。妻はばたんとベッドに横になり「あぁ、食べて飲んですぐ寝れるなんて、幸せだわ」と満足げに呻く。私は腹ごなしに、またテラスの露天風呂へ。

「み空」の露天風呂は、鳥羽湾の眺めを一番広々と眺められる造り。向こうに見えるのが坂手島。客室ごとに露天風呂からの眺めも異なる。

夜の海は真っ暗で何も見えないものだが、ここはほど良い距離に島があるおかげで、その港や家の灯が見える。夜だというのに、小さな漁船が何隻も通り過ぎて行く。フェリーも見える。

船を数えているうちにうっすらとかかっていた雲も払われ、星も見えた。海の上にも、釣り筏の灯だろうか、赤や緑や金の小さな光が散らばり、まるで宝石箱のようだ。妻が石神さんでお願いしていたことを私は覚えていた。ふたりでいつまでも時間が過ごせますように……。

「叶ってるんだよな、これが」

そう呟いて、それから随分と長い時間、湯船に浸かっていた。

文/奥 紀栄 撮影/遠藤 純