山崎の戦い(やまざきのたたかい)
開戦年:天正10年(1582)
羽柴秀吉VS明智光秀
ここ一番の勝負の代名詞ともいえる天王山。その由来は本能寺の変を起こした明智光秀と、中国地方から駆け戻ってきた羽柴秀吉とが覇権をかけた山崎の戦いである。光秀は京への入口である山崎の隘路(あいろ)で秀吉軍を迎え撃ったが、戦略的に重要な天王山を秀吉方に取られた。天下分け目の戦いで、この山の存在が勝機を分けたため、慣用句となったのだ。
そんな天王山の標高は270m。登山道がきれいに整備されているため、誰でも気軽に登ることができる。一般的なコースは秀吉が腰掛けたと伝わる出世石がある宝積寺(ほうしゃくじ)から山頂を目指す。余裕がある人は観音寺(山崎聖天)に立ち寄ってから、山頂を目指すのも悪くない。
途中の竹林の小径(こみち)は静寂に包まれ、別世界にいる気分が味わえる。山頂に向かう途中の旗立松展望台からの眺めも絶品だ。