22717〈古戦場を旅しよう〉広い空と蓮の堀が印象的 夏の風が似合う美観「備中高松城の戦い」(岡山県・岡山市)

〈古戦場を旅しよう〉広い空と蓮の堀が印象的 夏の風が似合う美観「備中高松城の戦い」(岡山県・岡山市)

男の隠れ家編集部
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いくさ巧者と言われ、中でも城攻めを得意とした羽柴秀吉は様々な方法で相手方の城を降伏させている。その中でも特に有名なのが、城一帯を水没させてしまう備中高松城の水攻めだ。

備中高松城の戦い(びっちゅうたかまつじょうのたたかい)
開戦年:天正10年(1582)
羽柴秀吉VS清水宗治

JR吉備(きび)線の備中高松駅から徒歩10分ほどの場所にある備中高松城跡は、多くの人が思い描く城跡とはだいぶ趣(おもむき)が違う。

本丸跡は周囲の土地よりも1mほど高いだけ。
本丸跡には城主・清水宗治の首塚がある。

周囲は広大な田園地帯で、遠くに山が見える。とにかく空を隠すものがほとんど見当たらない。戦国の城といえば、攻撃されにくい山の上に築かれたものがほとんどだが、この城は沼や沢、湿地に囲まれていた。それが自然の防壁だったわけだ。今は本丸周辺が池となっていて、夏には花ショウブや宗治蓮の花が出迎えてくれる。

城跡は歴史公園としてきれいに整備されている。奥の木立が茂っている場所が本丸跡。それを囲む池には、城兵の助命の代償として自刃(じじん)した城主の清水宗治の名を取った宗治蓮が群生。来園者の目を楽しませてくれる。加えて周囲には高い建物がないので、空の広さを存分に味わうことができる気持ちの良いスポットだ。

羽柴秀吉は城の周囲が低地ということを逆手に取って、長大な堤防を築いて川の水を引き入れ、城の周囲に人工の湖を出現させる水攻めを行った。

蛙ヶ鼻に残されている秀吉軍が築いた水攻めのための堤跡。高さは約7m。

城址公園から南東約1km、吉備線の線路に近い場所には、その際に築かれた堤の跡も残されている。その大きさに目を見張ってしまうだろう。

堤跡は史跡公園として整備されている。
本丸から少し北西の住宅地の間には、同じく宗治の胴塚がある。今も武士の鑑として人気が高い。
編集部
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