耳川の戦い(みみかわのたたかい)
開戦年:天正6年(1578)
島津義久VS大友宗麟
耳川の戦いとは天正6年(1578)11月、日向(ひゅうが)にキリシタン王国を建設するという妄想にかられた豊後(ぶんご)の大友宗麟(そうりん)と、九州制覇を狙う薩摩の島津義久が、日向高城川原(宮崎県木城町)を舞台に激突した合戦。
深追いした大友軍が島津得意の「野伏せ」により横を衝(つ)かれて敗走。増水した耳川に追い込まれ、大勢が溺死したことが合戦の名前の由来だ。
まずは流域に美しい自然が残されていてアユ、カニ、ウナギといった季節の幸が楽しめる耳川に訪れたい。加えて耳川から少し離れているが、主戦場となった現在の宮崎県児湯郡木城町の高城城跡も見ておきたい。
北には谷瀬戸川(現・切原川)、南は高城川(現・小丸川)が流れる標高60mほどの台地の縁辺に建てられた城で、北側と東側、南側は絶壁。周囲の美しい田園風景を一望できる。