22747〈歴史道を旅しよう〉延々と続く石畳の急登の先には 富士山や駿河湾の絶景が待つ「箱根峠越え」(神奈川県・箱根町〜静岡県・三島市)

〈歴史道を旅しよう〉延々と続く石畳の急登の先には 富士山や駿河湾の絶景が待つ「箱根峠越え」(神奈川県・箱根町〜静岡県・三島市)

男の隠れ家編集部
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江戸時代に東西日本の物流を支えた東海道、江戸の文化や経済の発展を支えた大動脈だ。歴史上の英雄や市井の人々が歩いた道を、現在も同じように歩くことができる。そんな東海道の難所、箱根峠越えを紹介しよう。

江戸時代の物流を担った東海道最大の難所・箱根越え

お江戸日本橋から京の三条大橋まで、約492kmの距離を結んでいた東海道。江戸時代に定められた五街道のひとつで、経済や文化を支え続けた大動脈である。宿場の数から「東海道五十三次」と呼ばれ、親しまれていた。その東海道中で、最大の難所とされていたのが「箱根八里」の峠越えである。

小田原宿と箱根宿の間の宿であった畑宿。寄木細工で知られている。

西国から関東へ入る際、箱根山は大きな障害となっていた。ここを越える道は有史以来、何度か道筋が変わっている。古代は御殿場から足柄峠を越え、矢倉沢に下る足柄道が使われていた。しかし平安初期の延暦19〜21年(800〜802)に起こった富士山の噴火により足柄峠が通行不能となると、迂回(うかい)路として箱根を通る街道が整備された。

豊臣秀吉が兜を置いた伝説も残されている兜石。

鎌倉時代には元箱根から芦之湯を抜け、湯本へと下る湯坂道が官道となった。そして徳川幕府が開かれると、現在も残る箱根越えの道が公道となったのだ。

徳川幕府は東海道の整備には力を注いだ。一里ごとに塚を築き、箱根には宿場も新設。さらに関所を設け、旅人を監視した。その一方、延宝8年(1680)には石畳を敷き、旅人たちの便宜を図った。こうして江戸時代を通じ、多くの文物が往来する道となったが、明治維新後に国道1号線が開通すると、旧道は役目を終える。

箱根の深い森に残る石畳道荒い息遣いと共に歩む。芦ノ湖までひと息という白水坂。さほど勾配はきつくなく、気持ち良い森歩き。

箱根の山中には神奈川県側の東坂と静岡県側の西坂が、今もいにしえの姿を残す石畳と共にひっそり残されている。昔の旅人気分が味わえる峠道は、自らの足で越えてみる価値が十分の、極上のトレッキングスポットなのだ。

旅人に開放されていた接待茶屋の跡地からしばらくは、歩きやすい土の道になる。

変化に富んだ山道に続く石畳道で歴史を踏みしめる

本格的な石畳の山道が随所に現れ始める神奈川県側の畑宿(はたじゅく)を出発し、芦ノ湖、旧関所、箱根峠を越えて静岡県側の山中城跡付近まで歩いていく。畑宿の外れに残る立派な一里塚を後にすると、道は早くも樹木がうっそうと茂る森の中に敷かれた石畳の急坂となる。

畑宿一里塚は日本橋から23番目の一里塚。平成10年(1998)に完全復元された。

畑宿を抜ける車道はこの先、箱根七曲りと呼ばれるヘアピンカーブの軟斜面だが、旧街道は旅人を直登という拷問で迎える。

坂の名を記した石碑も随所で見られる。

歩道橋上に石畳が敷かれた「宙吊り旧街道」を過ぎると、昔の旅人が涙をこぼしたほどの急坂、樫木(かしのき)坂が待ち受けている。あまりに急なため、現在は階段となっているほど。さらにその後は猿ですら足を滑らせるといわれた猿滑(さるすべり)坂と続く東坂最大の難所だ。

箱根新道建設で石畳を生かして架け橋とした「宙吊り旧街道」。
急階段となっている樫木坂の上には、猿も足を取られる急坂の猿滑坂が待っている。

猿滑坂を登りきり車道を越え、しばらく緩い坂を進むと立派な茅葺き屋根の古民家が見える。この地で300年以上も続く「甘酒茶屋」で、山坂道を往来する旅人にとってのオアシスである。

【こんな所も見どころ!】箱根峠越えで必ず寄りたい歴史の生き証人「甘酒茶屋」

甘酒茶屋は江戸の昔から年中無休、日の出から日の入りまで営業し、峠道を行く人を名物の甘酒や力餅でもてなし続けてきた。砂糖なし、ノンアルコールで栄養満点の甘酒は、お土産としても人気。近年は季節のスペシャルスイーツも話題だ。

峠の先には絶景の大展望がご褒美のように広がった

茶屋を後にすると再び石畳の登りが出現。いい加減、足が重くなってきたところで、ようやく眼下に芦ノ湖が見える。

きつかった登り坂を越え、二子山を望むピークを過ぎると、ようやく眼下に芦ノ湖の湖面が輝いているのが見える。

そこから元箱根までは膝が笑うほどの下りとなる。石仏が並ぶ賽の河原や遊覧船乗り場を過ぎると、関所手前までは有名な杉並木道が続く。これは旅人を暑さ寒さ、さらに風雪から守るありがたい存在だった。

幕末に外国人写真家にも撮影された元箱根・賽の河原の石仏群。数がだいぶ少なくなっている。
芦ノ湖からはもちろん富士山を望むことができる。
観光スポットとしても人気の箱根杉並木。旅人を日差しや風雨から守るだけでなく、道の保全にも役立った。

復元された関所を過ぎれば、かつての箱根宿である。箱根駅伝往路ゴール地点を過ぎ、芦川集落の駒形神社の先から再び山道の旧道となる。

箱根の関所は同じ東海道の新居、中山道の碓井・福島と共に「四関」と称され、詮議が厳しかった。
箱根峠まで続く向坂の入口に残る芦川石仏群。

石畳の急坂を箱根峠まで一気に登ると、ここで県境を越えて静岡県に入る。峠には大きなパーキングがあり、その外周に石畳の歩道がある。

箱根峠のパーキング脇にある石畳風歩道を進む。
街道から少し外れたピーク上にある明治天皇休憩の地。街道沿いの藪内にも碑があるが、こちらの方が立派だ。
静岡側の西坂は全体的に明るい雰囲気が漂う。

パーキングの先で本来はゴルフ場に沿って車道を歩いて旧道に入るのだが、この区間の道は2019年の台風で崩落し通行止め。接待茶屋跡までは国道1号線脇の歩道を下る。

背の高い笹のトンネルのようになっている場所もある。

接待茶屋跡から先は、山中城跡まで整備された石畳道や山道となる。

三島市のエリアでは1994年から3年かけて石畳の整備・復元が行われた。そのため石の表面がフラットで歩きやすい場所も多い。

途中、明治天皇が休憩されたという場所からは、三島市街から伊豆半島、駿河湾が見渡せる。富士山が隠れたのは残念だが、この景色こそ、峠越え最高のご褒美だろう。

明治天皇休憩地からは絶景なので立ち寄りたい。富士山の眺望も素晴らしい。
酒好きの雲助頭領のために建てられた雲助徳利の墓。
山中城跡を少し下った場所で無事ゴール。
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