31642深い谷を分け入って走る姿が感動的「JR岩泉線」(岩手県/茂市~岩泉)|失われたローカル線

深い谷を分け入って走る姿が感動的「JR岩泉線」(岩手県/茂市~岩泉)|失われたローカル線

男の隠れ家編集部
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JR岩泉線の始まりは、小本川上流で耐火煉瓦の原料となる耐火粘土が採掘されたため、山田線茂市駅から浅内集落までの区間に、鉄道路線を着工したことであった。それは太平洋戦争が勃発したばかりの昭和17年(1942)という混沌とした時代のことである。当初、路線名は小本線と称されることとなった。

戦略物資輸送を目的に敷かれた山岳路線

同年6月25日、まずは茂市駅と岩手和井内駅の10kmが開通。続いて昭和19年(1944)7月20日に、押角駅までの5.8kmが延伸されたのである。だがこの延伸区間は当初、貨物輸送のみであった。引き続き浅内駅までの延伸工事は進められていたが、戦争中には開通することはなかった。耐火粘土は索道により押角駅まで運ばれたのだ。

深い渓谷の底に位置した押角駅に停車するキハ52形気動車。駅周辺は何もなく国道から駅へは粗末な木橋を渡る。ホームも木製だった。

戦後の復興に耐火粘土は必要な物資とされたため、終戦後も工事は継続される。そして押角トンネルが貫通し、出口付近に字津野駅が設けられ、そこまでの区間が昭和22年(1947)11月25日に開業する。

さらに10年後の昭和32年(1957)5月16日、浅内駅までが開業し、同時に字津野駅は廃止。当初計画の区間はここまでであったが、岩泉町民が「町の中心部まで来ない鉄道路線では存在意義がない」と猛反発。その結果、昭和43年(1968)1月より浅内から岩泉までの延伸工事が開始された。

そして昭和47年(1972)2月6日、岩泉駅までの全線38.4kmが開通し、路線名は岩泉線に改められたのである。

当初計画で終着駅だった浅内駅。岩泉中心からは遠い。
駅の旧字体がよく似合う。

だが平成22年(2010)7月31日、土砂崩れによる脱線事故が起こり長期運休となってしまう。その当時、岩泉線の1日の利用者は、50人を割り込んでいた。利用者が少ないため、列車は1日に3往復のみ。採算の見込みがつかず、2年後には、鉄道復旧断念が決定したのであった。

岩泉駅で発車の時間を待つキハ52形。
風雨状態を知らせる信号。

平成31年(2019)3月23日 三陸鉄道リアス線に移管・営業再開したJR山田線の宮古~釜石間

写真/金盛正樹

山田線は岩手県の盛岡駅から宮古駅、陸中山田駅を経由し、釜石駅と結ばれていた。しかし平成23年(2011)3月11日の東日本大震災により、宮古~釜石間は大きな被害を受け、不通となっていた。

JR東日本は当初、鉄道ではなくバスによる高速輸送で復旧することを提案。しかし周辺自治体の理解が得られず、復旧後は当区間の運行事業を三陸鉄道に経営移管することで合意。平成31年(2019)3月23日、南北リアス線と旧山田線が1本につながり、三陸鉄道リアス線が誕生。三陸鉄道は第三セクター鉄道として国内最長距離を誇る路線となった。

写真/米屋こうじ 文/野田伊豆守

JR岩泉線

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