直孝と豪徳寺を救った一匹の猫

縁起物とされ、愛嬌のある「招き猫」は江戸時代末期に江戸の町で誕生したもの。とはいえ、なぜ猫が福を招く縁起物として広がったのかは、一般的にあまり知られていない。

猫は江戸時代から愛されており、有名な浮世絵師・歌川国芳は常に猫を飼い、時には十数匹も飼っていたと伝えられている。

庶民も同じで、たいそう可愛がっていたという話が多く残る。実は「福を招く猫」誕生の秘密は、可愛がられてきたこの江戸の猫たちに関係があるのだ。猫にまつわる伝説をたどりながら、その誕生秘話を探ることにした。

まず訪れたのは世田谷豪徳寺。立派な門をくぐり、境内を歩くと膨大な数の招猫群が姿を現した。その大きさは大小様々。参拝に訪れた人々は皆、足を止め不思議な光景に少し驚いた様子だった。

豪徳寺は江戸時代、曹洞宗豪徳寺として彦根藩井伊家の菩提寺となった。実は寺が井伊家の菩提寺となった背景には「招き猫」の伝説が隠されている。

菩提寺になる前は貧しい庵だったが、住職は猫を可愛がって飼っていた。ある夏の日、井伊直孝が鷹狩りにやってきて弘徳庵の門前にさしかかると、この猫が直孝の一行を手招きした。

そのまま行き過ぎようとしたが、猫がなおも手招きするので庵の門をくぐり、住職のもてなしを受けることにしたのだった。そうするうちに外は凄まじい雷雨となる。

猫のおかげで雷雨に遭わずに済んだことを感謝した直孝は、寺を井伊家の菩提寺とし多くの田畑を寄進した。寺では猫に感謝し、死んだ後は猫塚を造り、招福殿に猫と一緒に招福観音を祀り、猫の人形を「招福猫児」と名付け広めたのだった。まさに猫が豪徳寺に福を招いたというわけだ。

人々が福を求め招き猫を奉納する
豪徳寺(ごうとくじ)
文明12年(1480)、世田谷城主・吉良政忠の創建と伝えられる。寛永10年(1633)、世田谷領が彦根藩領となった際、井伊家の菩提寺となり、現在の曹洞宗豪徳寺に改号された。境内には桜田門外の変で倒れた井伊直弼をはじめ、井伊家代々の墓所がある。招福を願う人たちの参拝が多く、招福殿横には招き猫が並ぶ。

写真/関野 温