捨て身で花魁を助けた猫

猫が飼い主を助けたという話は豊島区西巣鴨の「西方寺」にもある。西方寺は元は浅草聖天町にあり、江戸時代は吉原で死んだ遊女を弔う寺として知られていた。寺には遊女の命を守った猫の言い伝えがある。

吉原に薄雲太夫という花魁がいて一匹の猫を可愛がっていた。ある日、薄雲太夫が厠に入ろうとすると猫が着物の裾を噛んで離さなかった。駆けつけた楼主の治郎衛門が脇差を抜いて猫の首を切り落とした。

すると猫の首は厠の下へ飛び、薄雲太夫に襲いかかろうとしていた大蛇を噛み殺し、太夫を守った。薄雲太夫は自分を守ろうとした猫を殺してしまったことを後悔し、西方寺に猫塚を祀り、招き猫の像を造って弔ったのだった。

吉原の遊女とともに静かに佇む招き猫
西方寺(さいほうじ)
元和8年(1622)、道哲大徳により浅草聖天町に建立され、江戸時代の吉原遊女の投げ込み寺として知られた。大正4年(1915)に焼失し、昭和2年(1927)、現在の豊島区西巣鴨に移転した。吉原で嬌名をうたわれ、不幸な死に方をした二代目高尾太夫の墓所がある。石造りの招き猫像は高尾太夫の墓の脇に静かに佇んでいる。

【おまけ】福猫だけじゃない江戸の化け猫伝説

日本の民間伝承や怪談には「猫又」という猫の妖怪がいる。猫又は尾が二又に分かれ、立って歩く。江戸時代には飼い猫が年老いてこの猫又に化けるという俗説が広まった。また、江戸の各地には手拭をかぶって踊る猫又が集まると伝わる場所もある。

エビをかじる遊女の化け猫。

遊郭で深夜に客が遊女部屋をのぞき、遊女が化け猫だったと知る話も江戸時代の洒落本などに登場し、歌舞伎にもなった。「品川宿に化け猫の飯盛女がいる」という噂がたったことがきっかけとされている。

※2016年取材

写真/関野 温