川中島の合戦(かわなかじまのかっせん)
開戦年:天文22年(1553)
武田信玄VS上杉謙信

信玄と謙信が激しく戦った川中島古戦場に開設された広大な公園には、素朴な自然の風景に溶け込む茅葺き屋根の東屋が建つ。

戦国時代最大のライバルといえば、武田信玄と上杉謙信を思い出す。両雄は北信濃の千曲川・犀川(さいがわ)の合流地点である川中島を舞台に、天文22年(1553)から永禄7年(1564)にかけ、何度も戦いを繰り広げている。

永禄4年(1561)の第四次合戦の際、謙信が陣を敷いた妻女山。戦場全体を一望できる。

少なくとも5回の戦いが行われたことが明らかになっている。なかでも永禄4年(1561)に行われた4度目の戦いでは、信玄と謙信が一騎打ちをしたと伝わる。

公園に隣接した八幡社に建つ信玄と謙信の一騎打ち像。

その舞台となった場所の中心地は、今では1万2000平方メートルもある敷地内に築山芝生広場、自然石が配された小川、茅葺き屋根の東屋(あずまや)などが配された史跡公園となっている。そのすぐ隣にある八幡社には、信玄と謙信の一騎打ち像が建てられている。

武田方の武将・高坂弾正が建立した首塚。

また信玄が拠点のひとつにした海津城跡がある松代(まつしろ)の街は、真田家の足跡が残る見応えのある町だ。

武田方の拠点となった海津(松代)城。
後に真田家が松代藩主となり、藩の文武学校を設置。