桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)
開戦年:永禄3年(1560)
織田信長VS今川義元

歴史ファンでなくても、尾張の小領主にすぎなかった織田信長が、駿河・遠江(とおとうみ)・三河を領した大名、今川義元が率いる10倍以上の大軍を打ち破った桶狭間の戦いは聞いたことがあるだろう。

桶狭間の戦死者を供養する戦人塚。

山中の谷間で雨を避け休んでいた今川軍に、山道を抜けて肉薄した織田軍が一気に襲いかかる。そんな情景を思い起こしつつ現地へ足を運んでみると、周囲はすっかり市街地化されていて驚かされる。

桶狭間の戦いの前日、義元がいた沓掛城。

しかし、今川義元が服部小平太と毛利新介によって打ち取られた最期の地と伝わる場所は、合戦があった当時の地形をジオラマ化した公園となっている。中央には義元と信長の像が立つ。

名古屋市緑区にある桶狭間古戦場公園。

すぐ隣の豊明(とみあけ)市南舘(みなみやかた)にも桶狭間古戦場跡と伝わる場所があり、やはり公園となっている。

豊明市の桶狭間古戦場伝説地は、数ある今川義元の本陣の中で唯一国指定の史跡だ。

市街地化されても残る周辺地形の凹凸を楽しみながら、両方を巡るのが面白い。

桶狭間古戦場伝説地には義元をはじめとする今川軍7人の戦死した場所を示す「七石表」が点在。さらに明治9年(1876)に建立された今川義元の墓もある。近くには夜な夜な現れる義元の亡霊を鎮めるため、尾張藩士が建立した地蔵尊、通称「おばけ地蔵」もある。ここから桶狭間古戦場公園までは直線で1kmほどの距離。