〈古戦場を旅しよう〉姉川の静かな流れと共に小谷城ハイクを楽しむ「姉川の戦い」(滋賀県・長浜市)
深い緑と野鳥のコントラストが美しい、のどかな風景を今に残す滋賀県・長浜市の姉川は、両軍入り乱れての激戦の地でもあった。兵力が拮抗した軍同士の一進一退の戦いの跡を巡ってみよう。姉川の戦い(あねがわのたたかい)
開戦年:元亀元年(1570)
織田信長・徳川家康 VS 浅井長政・朝倉義景
伊吹山地の新穂(しんぽ)山付近に源を発し、伊吹山西麓を南流した後、西に方向を転じて草野川や高時川の支流と合流し、琵琶湖北東部に注ぐ姉川。上流部は積雪が2mを超えるほどの豪雪地帯なので、雪解けの季節になると川面は清冽(せいれつ)な流れで輝いている。

(写真◎角田展章/アフロ)
この川の中流域沿岸を舞台に、元亀元年(1570)6月に織田信長・徳川家康連合軍と浅井長政・朝倉義景の連合軍が死闘を演じている。

戦いは織田・徳川軍が2万8000、浅井・朝倉軍は2万8000という大軍が、姉川を挟んで対峙(たいじ)した。初め浅井・朝倉軍が有利だったが、徳川軍の奮戦により最終的に織田・徳川軍が勝利。この戦いの結果、信長の畿内における覇権がほぼ確定したのだ。

(写真◎エムオーフォトス/アフロ)
両軍合わせ2500名以上が戦死する激戦であったが、跡地は今、美しい田園が広がる風景となっている。家康が陣を敷いた岡山は、この時の勝利にちなみ勝山という名になり、現在も残されている。


情報概要
住所 | 滋賀県長浜市野村町772 |
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電話 | 0749-65-6521 (長浜市観光協会) |
アクセス | JR「長浜駅」よりバス「野村橋」下車、すぐ。北陸自動車道「長浜IC」より約10分 |