保津峡で知られる京の奥座敷・亀岡。明智光秀が城下町を整備した地で、この亀山城を拠点とした丹波平定の功績で、光秀は織田家中のトップに躍り出る。
天正10年(1582)6月、中国出陣のため坂本から亀岡に戻った光秀は、戦勝祈願のため愛宕(あたご)山に参籠(さんろう)し、その後本能寺へと進軍。唐櫃(からびつ)、老ノ坂、神越(明智越)の3方向へと軍を分け京都へ入った。
この進軍を前に愛宕神社へと向かった約8kmの参詣路が、明智越えだ。
保津から嵯峨へ続く古道で、JR亀岡駅近くの簾戸口(すどぐち)登山口がスタート地点。最高峰・峯の堂からは見晴らしの良い尾根道となり、柚子の里として知られる山里・水尾を経て、愛宕参道の嵯峨・嵯峨鳥居本に至る。
鳥居本には江戸時代から続く豪壮な茅葺き屋根の茶屋が今も残り、時間が止まったかのような風情が味わえる。