関ヶ原合戦で敗れた西軍の毛利氏が拓いた城下町・萩。萩城は慶長9年(1604)に築城されたが、同地は瀬戸内海にも山陽道にも遠い僻地(へきち)であった。このため、参勤交代のために造られた約53kmの御成道が萩往還。
萩城から明木、板堂峠を経て山口、そして藩の御舟倉がある防府・三田尻へ続く。文久3年(1863)に藩庁が萩から山口に移されて以降は、多くの志士が行き交った道だ。
城下町散策を楽しんだら、沿道の中でも美しい石畳が残るポイントを目指そう。ひとつ目は道の駅萩往還から4kmほど先の一升谷の石畳。杉木立の中の風情ある道だ。
途中には駕篭立場(かごたてば)や乳母の茶屋などの史跡も点在。また、国境の峠から山口へと向かう県道脇には急勾配が続く四十二の曲がりが残る。付近にはかつて農家が営む6軒の茶屋があったという。