滔々とながれる只見川を眺め自然豊かな奥会津を走る

山峡に架かる、うす紫色のアーチ橋。その下を流れる只見川は、重なり合う山々の裾を縫うように蛇行しながら水を湛えている。川の水はダムでせき止められ、その流れはゆったりとした佇まいだ。森の緑を映すように、ブルーグリーンに染まった水面に、鉄橋を渡る只見線の列車が映り込む。

ここは第一只見川橋梁を見下ろす山の斜面。フォトジェニックな鉄道風景を求めて、日本はもとより、台湾はじめ中国やタイなどからも大勢の旅人が訪れるようになった。世界に知れ渡った鉄橋なのである。

山峡に架けられた薄紫色の第一只見川橋梁。写真の対岸、山の中腹から眺める鉄道風景は世界的に有名となった。

日本で最も有名ともいえる鉄道風景がある只見線は、福島県の会津若松と新潟県の小出を結ぶ135.2kmのローカル線。会津若松では磐越西線(ばんえつさいせん)に、小出では上越線にそれぞれ接続していて、折り返さずに通り抜けることができたが、今から9年前の2011年7月末、沿線を襲った激しい集中豪雨(新潟・福島豪雨)の被害に遭い、路盤や鉄橋が流失し寸断された。列車で直通することができなくなり、途中の会津川口から只見の間は、現在もバスによる代行輸送が続けられている。

今回の旅は会津若松からスタートした。登校する学生にまじって座席に腰を下ろすと、列車は朝の光のなかへ走り出した。車両はつい最近、国鉄時代から長く走っていたキハ40形から、JRになってから開発・製造されたキハE120形へバトンタッチしている。車内は小綺麗だが、以前のキハ40形に比べると少し落ち着かない。走ってきた年季の違いが、そう思わせるのだろうか?

会津宮下駅には懐かしいアイテムが見られる。

奥会津の原風景ともいえる小さな集落と山々の佳景を走る

列車はまず南へ進路をとり、会津盆地の南を大きく迂回する。水田が広がる風景を眺めながら、会津本郷、会津高田と巡る。根岸、新鶴の小さな駅でも学生が乗り込み、教科書を広げたり、スマホを眺めたりと、通学風景が繰り広げられる。思い思いのスタイルで過ごした学生たちは、会津坂下でほとんどが下車していった。

朝一番の会津若松行きは通学に対応した4両編成だった。早朝の滝谷からも高校生が乗り込んでいった。駅までは親御さんたちがクルマでお見送り。

会津坂下は演歌歌手・春日八郎(1924〜1991)の故郷。春日が生まれたのは大正13年(1924)で、只見線(当時は会津線)が会津坂下まで開通したのが2年後の大正15年だから、鉄道が来て間もない時代に幼少期を過ごしたことになる。

昭和27年(1952)に『赤いランプの終列車』が大ヒットしたが、“終列車”の情景を歌う春日の胸には、只見線の光景が描かれていたのでは……などと想像してみる。

とっぷりと陽が落ちた会津坂下駅。夕焼けに染まる空の光を受けてレールが輝いていた。

会津坂下からは平坦な会津盆地を離れて、山あいに進んで行く。

磐梯山を眺めて走る。

地図上では会津坂本の付近で只見川が接近するが、車窓に眺めることはできない。そのかわり「会津桐たんす」の看板が車窓にかすめる。会津地方では、家庭に女の子が生まれると庭に桐の木を植える風習があるという。娘の成長と共に桐の木も育ち、やがて“嫁入りたんす”の材料として用いられるのだとか。ノスタルジーを感じる伝統である。民家の庭先に植えられた桐の木は、5月中旬から下旬頃には薄紫色の花を咲かせる。その時期に乗車することがあれば、車窓に眺めることができるだろう。

沿線の生活感ある日常。

列車は会津柳津に到着。福満虚空藏菩薩(ふくまんこくうぞうぼさつ)をご本尊とする圓藏寺(えんぞうじ)や柳津温泉などが揃う、沿線きっての観光スポットだ。路地を歩けば、何処かに昭和の匂いがする。そんな会津柳津を出てしばらくすると、ほんの一瞬だけ只見川が車窓右手に見えるが、列車は再び山中へ分け入ってゆく。

神秘的な静けさを湛える只見川をゆく

民家の庭先に駅を間借りしたような、長閑な佇まいの会津桧原(あいずひのはら)を出て、短いトンネルを抜けると、車内が突然パッと明るくなり視界が広がった。窓の下に悠々と水を湛えた只見川を見下ろす。ドラマチックな場面展開に遠くの席から「ワーッ!」と声があがった。ゴゴン、ゴゴン、ゴゴン……と、音を響かせて渡る鉄橋こそが、世界的に有名になった第一只見川橋梁だ。この後は列車を降りる会津川口まで、只見川の流れが車窓のお供となる。

会津桧原から会津川口の間は只見川が車窓のお供。

会津西方を出て間もなく、第二只見川橋梁で再び只見川を渡ると会津宮下に到着。三島町の中心駅らしく、広い構内には蒸気機関車時代に使用された転車台や、機関車に石炭を積み込むための給炭設備と思しき遺構が残っている。只見線で蒸気機関車が最後に走ったのは、昭和49年(1974)というから、45年以上も設備が残されていることになる。

会津宮下からは只見川の谷が狭くなる。宮下ダムを右手に眺めると水面が車窓に迫ってくる。トンネルを抜けると、ほどなくして第三只見川橋梁を渡る。列車から眺める風景も素晴らしいが、川の対岸、国道253号線のスノーシェッドの間から眺める風景は、蒸気機関車現役の頃からの沿線きっての撮影名所である。

第三只見川橋梁を渡り、只見川を車窓左手に眺め、再びトンネルを出ると早戸に停車。駅裏手に国道が通る他は、周囲に民家などは見当たらず、秘境めいた雰囲気の駅だ。列車の来ない時間、のんびり川の流れでも眺めていたくなる。

奥会津ビューポイント「かねやまふれあい広場」より只見川に浮かぶような大志集落を望む

会津水沼の先で、第四只見川橋梁を渡る。橋の中ほどで曲弦トラスをくぐり抜ける構造になっている。

ここまで只見川を4回渡ったが、どの橋も個性的で周囲の風景もそれぞれ違って魅力的だ。只見川を渡るシーンは只見線の旅の醍醐味といっていい。なかでも、朝夕や雨上がりに発生する“川霧”が人々を魅了している。立ちこめた川霧が山の斜面を這い上り、たなびいてゆく風景は幻想的だ。流れの緩やかな只見川は、陽の光で水の表面が温まりやすい。そこへ冷えた大気が触れると、水蒸気が発生して川霧となる仕組みだ。なかなかお目にかかる事はできないが、偶然でもいいから車窓に眺めてみたいものである。

茅葺き屋根に赤や青のトタンを被せた民家が車窓を過ぎる。まるで日本昔ばなしにでも出てきそうな集落を眺めていると、列車は終点の会津川口に到着した。

大志集落を抜けて只見川沿いを走る。ふれあい広場までは、会津川口駅から徒歩約7分

運行再開を目指して一歩ずつ復旧作業が進む

会津川口から代行バスで只見へ。水害からの復旧作業が進められ、会津川口から本名の間に架かる第五只見川橋梁では、落ちた橋桁が修復されていた。

橋桁が落ちた只見川第5橋梁。現在は修復されている。(2015年5月撮影)

漆喰壁の土蔵や、昔ながらの民家のなかに佇む小さな本名駅を訪ねると、待合室こそ板で塞がれているものの、ホームはそのままだった。もしかしたら周囲の方々が掃除などしているのかも知れない。

9年間列車が来ない本名駅は、ホームに苔が生えていたが、荒れた様子はなかった。周囲の人々が掃除しているのだろうか。

現在バス代行となっている会津川口~只見間は、2021年度中の運行再開を目指している。線路などの施設を福島県が保有、列車の運行や営業はJR東日本が行う上下分離方式がとられる予定だという。一日も早い運行再開が待たれるところだ。

東の空高く、会津盆地を満月が照らす。

只見駅からは再び列車の旅を再開。福島、新潟県境の秘境とも呼べる六十里越へ向けて、ディーゼルカーのエンジンが唸りをあげた。

只見町観光まちづくり協会の人々に見送られて只見駅を出発。

全長3712mの田子倉トンネルを抜けると、左手に田子倉湖を眺め、スノーシェッドに入ると、2013年に廃止された田子倉駅跡を通り過ぎる。浅草岳を源とする只見沢の清冽な流れを渡ると全長6359mの六十里越トンネルへ突入。列車はトンネル内で福島、新潟の県境を越える。

支流には清冽な水の風景があった。

(撮影・文◎米屋こうじ)

只見川渓谷に佇む絶景の温泉「早戸温泉 つるの湯」

およそ1200年の歴史を持つ奥会津の名湯。間近に流れる只見川を望む露天風呂とゆったり浸かれる大浴場は、加水、加温、循環など一切行わない100%天然温泉の源泉かけ流し。薬湯と呼ばれる泉質は外傷や皮膚病、やけどなどに効能がある。飲泉所での飲泉もできる。日帰り入浴施設「温泉棟」のほか、自炊施設完備の宿泊湯治施設「湯治棟」を併設。調理室、洗濯機など利用可能。宿泊者は温泉棟での入浴が無料のほか、湯治棟にも浴室(内風呂)を完備する。

早戸温泉 つるの湯(はやとおんせん つるのゆ)
福島県大沼郡三島町早戸湯ノ平888 
電話/0241-52-3324 
営業時間/9時~21時(11~2月は~20時30分)
定休日/無休 
料金/1人1泊4,990円~。立ち寄り入浴は入浴3時間600円~ 
アクセス/「早戸駅」より徒歩約10分

只見を愛するシェフの料理店「ビストロ叶屋」

県重要文化財の叶津番所の向かいに店を構える。フランス料理の修業を積んだ、山好きの店主・伊豆さんが、当地に惚れ込んで移住。地元産野菜や地鶏を使ったフレンチやイタリアンを味わえる。写真は「会津地鶏カレー」(1,200円)。

ビストロ叶屋(びすとろかのうや)
福島県南会津郡只見町叶津居平451-1 
電話/0241-82-3167 
営業時間/11時〜15時(平日・ディナーは完全予約制) 
定休日/不定休 
アクセス/会津川口駅または只見駅より代行バスで「叶津」下車すぐ

JR只見線