古き良き駅名を残す上州らしい風景の連続

上信線の乗り場は、JR高崎駅の0番ホームにある。同じ構内でも、通勤時間帯の余韻さめやらぬJR各線とは隔絶されたような静けさだ。 

駅員に硬券切符を渡し、改札鋏(ばさみ)をパンチしてもらって列車に乗ると、なんだか目が覚めたかのように旅立ちの情が高まってきた。

上信線のシンボルといわれた、デキ1形電気機関車。大正13年(1924)にドイツから導入され、平成6年(1994)まで貨物輸送を担当。(提供/上信電鉄)

高崎を発し、佐野のわたし駅を過ぎ、根小屋(ねごや)駅にさしかかる頃には、桑畑や小さな民家が窓外に見えはじめ、すっかり景色が様相を変える。

ちなみに「根小屋」とは、山城の麓にあった集落のことをいう。戦が起こると、その集落の人々は山城に籠もって敵襲に備えたそうだ。実際、線路の西北部には根小屋城趾という山城の跡があり、この沿線にはそうした古くからの地名が多い。

根小屋駅付近の平野部を走る列車。

ぼんやりと、そうした風景を眺めるうちに列車は高崎市を離れ、上州らしい素朴な情景が濃厚になっていく。通勤時間を過ぎたため、乗降客はまばらである。21駅のうち無人駅が8駅あり、委託駅には駅員は常駐していない。それでも朝や夕方は列車の発着のたびに深々と一礼して出迎え、見送る駅員たちの姿がある。委託駅の駅員には、地元付近にお住まいのご年輩の婦人たちが多く、言い知れぬ親しみを感じた。

昭和の面影を強く残す西富岡駅。駅員が列車発着のたびに一礼してお客様を見送る。
富岡製糸場の最寄駅、上州富岡駅の隣にあり、製糸場にも歩いて行ける。

上信鉄道は明治30年(1897)、上野(こうずけ)鉄道として開業し、大正10年(1921)に上野国(上州)と信濃国(信州)を結ぶ構想から「上信」の名前がついた。その構想は実現しなかったが、名前は変わらず使われている。そんな不完全さも、この路線の魅力なのかもしれない。

レジャーとして憧れられていた頃の一枚。その面影を残す御座敷列車などの企画列車が、今も運行している。(提供/上信電鉄)

遠足に行く時のような嬉しさを滲ませて……

高崎から、正味1時間ほどで終点の下仁田(しもにた)駅に着いた。ここばかりは駅員が常駐し、1台ながら券売機がある。ホーム脇には錆びれた貨物車が置かれている。かつて生糸、石灰、蒟蒻などを貨物で盛んに輸送した時代の名残だ。それらが行き来した線路も残る。この駅そのものが、上信電鉄の歴史を物語るようで、いつまでも眺めていたくなってしまう。

終点の下仁田駅。レトロな雰囲気を残す駅構内も印象的である。
下仁田町の中心部にあり、その駅を出れば飲食店や旅館などが建ち並んだ小さな町に出る。
終点の下仁田駅ホーム。頭端式ホームにて、駅員が高崎から到着したお客さんと列車を迎える。

下仁田駅周辺を歩いてみた。懐かしさにあふれる商店や飲食店を眺めながら、鏑(かぶら)川に沿って北へ向かった。この町には、幕末の下仁田戦争の爪跡を残す史跡が点在する。

幕末、この地で行われた下仁田戦争の銃弾の跡を今も残す里見家の蔵。

尊王攘夷(そんのうじょうい)に燃える水戸出身の天狗党を、幕府の命を受けた高崎藩の藩兵が討伐しようと刃を向けた。結果、高崎藩は天狗党の猛攻に苦戦し、36名もの戦死者が出る結果となった。今はその激戦地に「高崎藩士戦死之碑」が、ひっそりと建つ。激戦を見守ったであろう諏訪神社に参拝し、その戦いの跡を心に刻んだ。

下仁田戦争で戦死した高崎藩士を祀る碑。勝海舟の筆跡が刻まれている。
下仁田町歴史館のある高台から、町を一望。大桁山や西側の山々がきれいに見渡せた。

駅近くの食堂「鍋屋」で上州カツ丼をゆっくり味わった後、しばしのウォーキング。千平(せんだいら)駅から上り列車に乗り、高崎方面へ戻ることにした。

下仁田駅から徒歩10分、天保8年(1837)に建てられた諏訪神社。
神社の脇を降りた鏑川の沿岸に約2000万年前の地層を残す下仁田層がある。
千平(せんだいら)駅より上り列車に乗る。

養蚕農家に愛された名物鉱泉に身を浸す

3駅目の上州一ノ宮駅で降り、大島鉱泉までのんびり歩く。今は程よくひなびているが、昭和の半ば頃までは割烹旅館として賑わっていたという。この沿線では貴重な存在だ。ぜひ足を休めていきたい。

上州一ノ宮駅から徒歩で30分ほどかかるが、ぜひ訪ねたいのが「大島鉱泉」。
群馬県富岡市大島148 電話:0274-62-1490

「遠くから、よくいらっしゃいましたね」と、ご夫婦が迎えてくれた。その温かい出迎えにホッとする。

かつての賑わいを懐かしそうに語ってくれた、ご主人の小間信明さん(左)。

さっそく暖簾をくぐり、湯の中に身を横たえた。ほのかに硫黄のにおいが漂っていて気持ちいい。敷地の裏から湧く11度の源泉を薪のボイラーで適温まで加温しているという。源泉の温度こそ冷たいが、温泉と変わらない浸かり心地に、心の奥底までがほっこり癒された。

昔ながらの「鉱泉」を名乗る旅館・銭湯。400円で日帰り入浴可能。

駅に戻り、西富岡駅へ向かった。新駅舎の上州富岡駅ではなく、あえて西富岡駅で降りたのは、ここが委託駅で、昔ながらの古びた情景を保っているからだ。

西富岡駅で降りて製糸場の歴史を噛みしめる

委託駅の窓口でも硬券切符が手売りされている。あえて「根小屋」「神農原(かのはら)」など名物駅名が入ったものを、記念切符として購入する人も多いそうだ。それに倣って「南蛇井」行きの切符を購入した。「ありがとうございます」と駅員の井川さんが手渡してくれた。

上信線の主要駅のひとつ、南蛇井(なんじゃい)駅。一度聞けば忘れられない地名の由来には諸説あるが旧地名の「なさ」「なんさい」が訛ったものとも伝わる。
駅員から硬券切符を手渡しで受け取る。その手触り、対面というアナログ感は今では得がたいものばかりだ。

券売機や自動改札が当たり前になって久しい世の中で、こうしたふれ合いを重ねると、こちらも段々と沿線の日常世界の一部に溶け込んでいくような心地がする。

西富岡駅から富岡製糸場方面へ歩き、その周りを散策する。明治5年(1872)、日本政府は国力強化のための外貨獲得を目指し、製糸産業の育成に取り組み、その募集に応じて女性たちが全国から集まった。定時労働、日曜定休、診療所にはフランス人医師が常駐し、盆踊りなども行われる近代的な環境だった。

富岡製糸場。最大の輸出品だった生糸の品質改善・生産向上を図るため、養蚕が盛んだった上州に造られ、昭和末期まで稼働した。

ただ医学が未発達だった時代だから、若くして病に倒れるなど当地で亡くなった女工もいた。その彼女たちの墓48基余りが富岡市の龍光寺にある。

龍光寺の墓地にある工女たちの墓。

富岡製糸場で栄えたこの町と上信電鉄とは密接なつながりがある。国の繁栄、町の繁栄のため、心に希望の光を灯し、労働に勤しんだ工女たちに、そっと手を合わせた。

かつての富岡駅(提供/上信電鉄)
大正10年(1921)、この上州から信州の羽黒下まで延伸が計画され「上信電気鉄道」と改称された。延伸は実現しなかったが「上信」の名は残された。(提供/上信電鉄)

人びとの温もりに癒された上州の列車旅。その余韻に浸り、残された高崎までの時間を楽しんだ。

独特の色合いと木造の建物が特徴の根小屋駅。朝から夕方まで駅員がお客さんを出迎え、見送ってくれる。
上信線は昔ながらの木造駅舎、備品を今も留め、山あいや民家の間を縫うように走る生活路線でもある。懐かしさを残す駅、そこで働く人々が上州の原風景であり、日本の遺産のように愛おしく思えてならない。
馬庭(まにわ)駅に滑り込んできた高崎行きの列車。すっかり日も落ち、闇に包まれてきたが、このまま帰るのが惜しいとさえ思える。

(撮影◎遠藤 純 文◎上永哲矢)

郷土の名物を味わい、ほっと一息

下仁田の味が楽しめる和洋食堂「鍋屋」

醤油ベースのタレのカツだけが乗った「下仁田かつ丼」(800円)。玉子やキャベツも無いシンプルさは上州ならでは。玉子でとじた「すき焼定食」(950円)、「さしみ蒟蒻」(400円)など名物尽くし。

鍋屋(なべや)
群馬県甘楽郡下仁田町下仁田358
電話/0274-82-2028 
営業時間/11時~19時
定休日/不定休 
アクセス/「下仁田駅」より徒歩約8分

みそまんなどの和菓子で、ひと息「あづきや茶房」

そのまま高崎まで戻るのも、なんとなく惜しい。そんな気がして、根小屋駅の周辺を歩く。和菓子店「あづきや」に併設された茶房で、店の名物「みそまん」とプレスコーヒーのセット(500円)でひと休み。

あづきや茶房(あづきやさぼう)
群馬県高崎市寺尾町962-8 
電話/027-325-0883
営業時間/14時30分~18時30分
定休日/火曜
アクセス/「根小屋駅」より徒歩約8分

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