ウイスキー史を変えたブレンデッドと虫害
アイルランドとスコットランド、どちらが長くウイスキーの歴史を持つのか。伝承レベルだが、アイルランドのほうがだいぶ古い。6世紀のアイルランドの修道士が中東から、香水を作るために用いられていた蒸留技術を持ち帰ったというものだ。
さらに1171年、イングランド国王ヘンリー2世がアイルランドへ侵攻した際、現地住民が「ウスケボー」「ウスクバッハ」という蒸留酒を飲んでいたと、やはり伝承されている。しかし、いずれも確認できる史料は残っていない。
スコットランド同様、密造はアイルランドでも行われたが、1823年の酒税法改正後も公認蒸溜所の数はあまり増えなかった。密造はむしろスコットランドより多く、長く続いた。19世紀後半にはひとつの蒸留所の生産規模ではアイリッシュはスコッチを凌駕したが、1920年以降は急激に衰退していく。
その理由のひとつが、ウイスキー史にとって重要な出来事。つまり、ブレンデッドウイスキーの誕生である。1826年、連続式蒸溜機の登場で、ウイスキーの大量生産が可能となった。それに合わせる形で、トウモロコシなど大麦より原価の安い穀物を原料にした穏やかな味わいのグレーンウイスキー(トウモロコシと大麦麦芽が5対1の割合)が誕生。これに風味豊かなモルトウイスキーがブレンドされ、スコッチブレンデッドが登場した。穏やかなグレーンウイスキーと、個性的なモルトウイスキーとが合わさって、独特の風味と口当たりの良さを生み出し、好評を博すと、1880年代からはブレンデッドの傑作が次々生まれた。
スコットランドがブレンデッドを積極的に販売したのに対し、アイリッシュはポットスチルによるウイスキー製造にこだわりを見せた。さらに、アイリッシュは主要輸出先であったアメリカで禁酒法が施行された影響を大きく受け、大幅に衰退。アイルランド内戦で国内の経済力が低下したことも追い打ちをかけた。
ブレンデッドで躍進したスコッチだが、これが本格的にヨーロッパで流行したきっかけは、また意外な理由がある。1860年代から80年代にかけてフランスで大量発生したブドウネアブラムシ(フィロキセラ)が、ブドウ園をすっかり枯らしてしまった。このため、ワインとブランデーの価格が急騰し、手頃な価格のスコッチを飲む人が増えた結果、イギリス全域に普及したのである。運命のいたずらとしか思えない時代の主役の交代劇であった。
ジャガイモ飢饉とアメリカへの移民
1845年にアイルランドで起こったジャガイモの疫病による不作が原因で起きた大飢饉。アイルランドでは主食とされていたため、100万人以上の餓死者を出し、多くがアメリカ、カナダ、オーストラリアなどに移住していった。そのために貧困化が進み、650万人から推定480万に減少し、その影響は今も続いている。
文◎上永哲矢
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