古き良き昭和の東京を象徴する「東京タワー」だが、その歴史の詳細についてなど、意外と知らないことも多い。そんな知られざる東京タワーの歴史について詳しく解説する。

懐かしき昭和の景観。東京タワーの建設背景

「東京タワー」という名前は、実は愛称である。正式には「日本電波塔」という名称だ。この名称は公募により選ばれたのだが、実際もっとも多かった名前は「昭和塔」だったという。

当時、NHKを皮切りに、東京地区では次々にテレビ局が開局していたが、電波は各局がそれぞれの電波塔から発信していた。今後予想されるテレビ需要の高まりと、それに伴う多局化に向けて、各局の電波塔をひとつに集約した総合電波塔が必要となり、「どうせならエッフェル塔を超える、戦後日本のシンボルともなるものを」というコンセプトのもと、東京タワーは建設された。

高さが「333m」になったのは、電波を送信するうえで、計算上その高さが必要だったためだ。

余談だが、東京タワーの色は「赤」ではない。航空機が認識しやすいよう法律で規定されている「インターナショナルオレンジ」という色が、白と交互に塗られている。

変わりゆく東京タワーの役割

東京タワー完成までの道のりは困難の連続だった。設計はパソコンも電卓もない時代にわずか3カ月で行われたという。そもそも300mを超える鉄塔という時点で難易度が高いにもかかわらず、着工前から開業時期が決められていたため、建設期間は1年半しかなかったという。

工事も大半は職人の手作業という、今では考えられないものだった。そのため、常時400人以上、述べ22万人ほどの作業員が導入された。

こうした経緯で完成したにもかかわらず、築50年以上を経ても「東日本大震災」級の地震にも耐えられる構造となっているのだから、当時の関係者の技術やレベルの高さには驚嘆せざるを得ない。

ちなみに、現在の場所に建てられたのは、地盤の固さが理由だったという。当初は「上野公園」なども候補にあがっていたらしい。

また、「東京タワーは戦車でできている」という話も本当だ。主にメインデッキ(大展望台)より上の部分に、旧式のアメリカ軍の戦車を解体して作られた鉄が材料として使われている。

1958年12月に開業した東京タワーは、東京スカイツリーができ、「還暦」を迎えた現在でも、その人気は健在だ。今も平均で年間230万人ほどの来場者を記録している。時代は流れ、役割も変わったが、東京タワーは今後も変わらず「東京のシンボル」であり続けるに違いない。