15228登城者を圧倒する巨大迷宮。案内人に学ぶ「松山城」(愛媛県松山市)|21棟の重要文化財を擁す難攻不落の名城〈現存天守四国四城〉

登城者を圧倒する巨大迷宮。案内人に学ぶ「松山城」(愛媛県松山市)|21棟の重要文化財を擁す難攻不落の名城〈現存天守四国四城〉

男の隠れ家編集部
編集部
賤ケ岳七本槍の闘将・加藤嘉明が建てた松山城は、屈曲した進入路に多くの櫓や門を備えた難攻不落の名城。 棟の重要文化財と棟の復興建造物を擁し、一度の訪問では味わい尽くせない圧巻の巨大迷宮だ。
目次
写真下側の緩やかな坂を上って一ノ門へ。中央上は天守。

天守のある本壇以外にも見どころ満載の城歩き

小説『坊ちゃん』のマドンナ姿のスタッフに導かれて城へのロープウェイに乗り込み、緑豊かな風景を眺める。見どころを紹介するアナウンスが「だんだん(ありがとう)」と伊予弁で結ばれ、ロープウェイは長者ヶ平に到着した。

「おもてなし」を大切にする松山らしい演出に感心しながら、案内人の松山城総合事務所学芸員・尾上友美さんに導かれて登城道を歩く。

前方には太鼓櫓と、美しい弧を描く高石垣がそびえる。その先には目指す天守も輝いている。ただし、そのまま直進しても天守にはたどり着けない。登城するには太鼓櫓下を180度U字に折り返さなければならないのだ。

出だしから巧妙な仕掛けに翻弄されたが、これはまだ序の口。U字に折り返して坂道を上ると戸無門が現れ、くぐり抜けると左手に本丸最大の筒井門が。「ここを通るのか」と門を眺める。

最初にくぐるのは戸無門。名称どおり門扉がない。21ある重要文化財のひとつ。

すると「奥に隠門があります。見てみましょう」と尾上さん。筒井門右奥の石垣の陰には、筒井門前からは見えなかった櫓門が。筒井門に迫る相手を、ここから急襲するのだという。

筒井門を突破しても、今度は正面に太鼓櫓、太鼓門、巽櫓と20m以上も続く防衛線があり、狭間や石落が待ち受ける。太鼓門を抜ければ本丸の広場だが、容易に行けそうにない。

行く手にそびえるのは太鼓櫓で、奥に天守が見える。 ただし、天守方向へ直進してもたどり着けない。かつては太鼓櫓の下に中ノ門があり、ここへ誘導された。

侵入者を待つ数々の仕掛けに、冒頭から危機一髪のアクション映画を観た気分に。「すごいですね……」と呟くと、尾上さんは笑顔でこちらを見た。その目は「まだ序章ですよ」と告げていた。

この難攻不落の城を築いたのは「賤ケ岳七本槍」の一人、闘将・加藤嘉明。彼は豊臣秀吉に仕えた後、関ヶ原の戦いで石田三成を嫌って徳川方に従軍。

その戦功を認められ、伊予半国20万石に封ぜられた。初代松山藩主となった彼の手により、慶長7年(1602)、松山城の築城が始まった。

ところが四半世紀もの間、築城に情熱を注いだ嘉明は、完成目前に会津へと転封された。その後しばらく、蒲生氏郷の孫・忠知が治めた後、松平定行が15万石で入封となり、以後、松平氏の居城となっている。

その間、度重なる改築や再建が行われたが、最大の危機は天明4年(1784)の火災。落雷によって天守など本壇の建物すべてが炎上した。復興が始まったのは36年後の文政3年(1820)で、安政元年(1854)に落成式を行っている。

30年以上の歳月をかけた再建は異例の大事業だったが、将軍家ゆかりの松平氏だからこそ可能だった。

いよいよその本壇へ、と思いきや尾上さんは左手の紫竹門へ。これも重要文化財という。その奥にある紫竹門西塀も重要文化財。


重要文化財の紫竹門西塀。狭間の向きが途中で反対に。どの方向からも攻撃できるようになっている。

北へ向いている狭間が、途中から南へ向きを変えている。どちらから攻め込まれても対応できるようにするためだという。

続いて、風格ある乾櫓や野原櫓を見る。この2つも重要文化財。野原櫓は日本で唯一、現存する望楼型二重櫓で、天守の原型と言われている。本壇を右手に眺めながら進んでいくと艮門と艮門東続櫓が。

紫竹門前から見た乾門東続櫓東折曲塀、その奥が乾門東続櫓・乾櫓。

「ここでテレビドラマ『坂の上の雲』のポスターが撮られたんですよ」と尾上さん。ほかにも江戸時代後期に積み直した石垣の違いや、天守の破風などについて解説を受けながら、ようやく本壇入口の一ノ門にたどり着いた。

重要文化財の一ノ門。天守に通じる本壇入口を守る門で、木割も大きく豪快な構えとなっている。

あまりの見どころの多さに、すでに頭の中は一杯だ。城内にある重要文化財は21棟、復興建造物は30棟というのだから無理もない。

「ひととおり解説できるようになるには、どのくらいかかるんですか」と尋ねると「1年はかかりましたね」と尾上さん。まさに巨大な迷宮だ。

その中心、本壇へといよいよ進む。一ノ門をくぐると90度左へ曲がり、続いて二ノ門を通ったら、今度は180度、向きを変えて三ノ門へ。方向感覚がおかしくなる。しかもその間、周囲を櫓や塀で囲まれ、無数の狭間がこちらを向いている。

一ノ門と二ノ門の間は直角に曲がり、枡形になっている。

侵入者は、細く入り組んだ路地を進みながら「狙われている」という緊張感をずっと強いられるのだから大変だ。最後に筋鉄門をくぐり、遂に連立天守の中庭に到着した。

三重三階・地下一階の層塔型天守の内部は、戦時への備えと同時に太平の世の天守らしさも垣間見えた。無数の狭間が備わっているが、畳が敷けるし、床の間もしつらえられている。

最上階からは、広々とした松山平野が一望できた。遠くに瀬戸内海が蒼く輝いている。窓からそよぐ風を感じながら「また来よう」と心に誓う。この巨大迷宮は一度では味わい尽くせない。再訪してもっと堪能しようと心に決めた。

天守からの素晴らしい眺望。これは西側で、遠くに瀬 戸内海が見える。反対の東側からは道後温泉方面、南側からは本丸広場方面、北側からは文京町方面が。

まつやまじょう
愛媛県松山市丸之内
TEL:089-921-4873(松山城総合事務所)
開城時間:天守9:00〜17:00(8月は17:30、12月~1月は16:30まで。入城は閉城の30分前) 休館日:12月第3水曜 入場料:520円(天守) 
アクセス:JR「松山駅」より伊予鉄道「大街道電停」下車、徒歩約5分

※開城時間等についてはHP等で要確認。

文◎浅川俊文 撮影◎池本史彦

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いくつになっても、男は心に 隠れ家を持っている。

我々は、あらゆるテーマから、徹底的に「隠れ家」というストーリーを求めていきます。

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