56357「ツアーのあいまに手にするカメラで切り取る、なにげない風景に心をほどく」|ピアニスト・反田恭平

「ツアーのあいまに手にするカメラで切り取る、なにげない風景に心をほどく」|ピアニスト・反田恭平

田村 巴 (たむら とも)
田村巴
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【プロフィール】ピアニスト 反田恭平
1994年生まれ。東京都出身。4歳で音楽教室に通い始め、中学生時代から国内の数々のコンクールで1、2位に。桐朋学園大学音楽学部を経て2014年にチャイコスフキー記念国立モスクワ音楽院、2017年にポーランドのF.ショパン国立音楽大学研究科に入学。2018年からは室内楽や自身が創設したジャパン・インターナショナル・オーケストラのプロデュース・指揮者を務める。2021年の第18回ショパン国際ピアノコンクールでは、日本人として半世紀ぶりの2位入賞。海外での活動も多数。

“喜んでくれる人がいる”それが僕の音楽に向かう原点

5年に一度のショパン国際ピアノコンクール。コロナ禍により2020年から延期された2021年10月の第18回、反田恭平さんの2位入賞に日本のマスコミは大いに湧いた。1970年第8回で2位となった内田光子さん以来の快挙だ。

TVやネットで聴くカラフルで深みのある音色には多くの人々が魅了された。コンサートではいまや最もチケットが取りにくいピアニストである。

最初に鍵盤に触れたのは4歳。母が“ママ友”の誘いで音楽教室の体験入室に連れて行ってくれたのだ。その時はエレクトーンだった。

「先生が出す音を当てるクイズとかもあって、僕は少しずる賢くて、目隠しした指の間から見ながら答えていたのですが、この子は天才だ!なんて言われて、すっかり母も信じてしまった感じでした。最初はズルしていましたが、後々、気づいたら3つ4つの和音から最終的には11の音まで聞き分けられるようにはなっていました」

転勤の多い家庭だった。幼稚園の年長から東京へ。教室の先生は東京でも音楽を続けるよう言ってくれ、絶対音感を鍛えることで知られるスクールに入った。

初日、たまたまついてくれた先生は、好きだったタレントのなすびさんそっくり。

「“なすびさんに教えてもらえる!”って大興奮でした。とにかく自由に弾かせてくれ、ほめてくれる先生でしたので、とても楽しかったです」

スクールでは、耳を鍛えること、ピアノ、それにミュージカルなども体験。特にミュージカルは大好きだった。

ピアノのレッスンも少しずつ増やした。新しい楽曲を弾くと、先生も友達もとてもほめ、喜んでくれる。

「演奏すれば誰かに喜んでもらえる。それが、今に続く僕の原点なんですね」

サッカー選手への夢を捨て、14歳でプロのピアニストを目指した

とはいえ、当時はピアニストを目標にしていたわけではなかったそうだ。練習もさほど熱心ではなかった。実は反田さんはサッカー少年でもあったからだ。

サッカーを始めたのは2歳。なんとその2歳で、幼稚園チームの年上も率いてキャプテンを務め、ドームサッカー場での試合にも臨んだというから驚きだ。

「みんなで何かをするのがとにかく好きな子供でした。東京では地元のクラブチームに入り、ミッドフィルダーやフォワードをしていました。リズム感がいいから相手をよくかわすと言われていました」

チームメイトにはやがてユース代表に選ばれたり著名クラブチームに入った人も多い。サッカー選手になり、ワールドカップに出るのが夢だった。それでもピアノも続けていたのは、自分の感情をそのまま表現できる手段で、ピアノが好きだったということもある。

友達や家族とケンカをしても、鍵盤に向かっていると素になれる。感情の引き出しが増えるたび、音色も増えていく。それが楽しかった。

「リリカルで色彩感があって……これがショパンかーと。こういう華やかな曲はもともと好き。音数が多くてキラキラしていますよね。で、小学3年生から1年くらいショパンをいろいろやって『幻想即興曲』まで弾けるようになりました。4年生で手が大きくなってからはリストもよく弾いていましたね。週末はサッカーの試合が終わったらCDショップに行って視聴し、覚えて帰って弾くんです。ネットでは世界一難しいピアノ曲を調べてリストの『超絶技巧練習曲』を知り、6年生までに弾けるようになろうと目標を立てました」

しかしサッカーとの両立は5年生で終わる。ワンパクでケガの多い少年ではあったが、サッカーで2度目の手の骨折。指の骨が粉々になって手術を受け、1年近くサッカーもピアノも出来なくなった。その日々、自分はどちらがやりたいのか改めて考えた。

サッカーでどこまで行けるか、そして骨折して痛い職業は無理ということもあり、音楽の道に進む決意をする。高校進学で音楽高校に行くために、父親には反対され、ピアノが弾けるという証明をしろと言われ、受けられるコンクールで1位を取るべく必死になった。

音楽高校への入学も許可をもらったが、その時、「1位になったこらこそ見える景色があるだろう」と言われたことは今ではとても理解できる。

18歳で受けた日本音楽コンクールで男子最年少で1位になり、さらに注目が集まる。その時に副賞でレッスンしてくれた先生に呼ばれて2年後、ロシアへと渡った。

音楽院開設や指揮者への未来に向かうために“今”を積み重ねる

日本に戻ればコンサートが開かれ、アルバムデビューも果たした。しかしロシアの音楽院での日々はなかなかに苛酷だったようだ。当初はロシア語は話せないし、冬は極寒の地で寮ではお湯も出ない。練習室は少なくてなかなか確保出来ない上、ピアノも壊れていたりする。

「だから夜、学校に忍び込んで練習したりもしました」

1年後には外国人向けの予備科で首席(1位)になって本科へ。ロシアでは3年半勉強し、現在はポーランドで学んでいる。

その後の活躍は、いまや誰もが知るところだ。

ショパン国際ピアノコンクールは、30歳以下という年齢制限がある。1994年生まれの反田さんにとっては次のチャンスはない。体幹を支える筋肉を鍛え、次には音の深みをもたらす脂肪をつけた。髪型も、海外の人に“サムライ”を印象づけるよう長髪をひとつにくくった。もちろん、表現と技術をより深化させていったことは言うまでもない。

大切なことをうかがった。

緻密なプランを重ねてこのコンクールで上位入賞を目指したのは、一ピアニストとしての評価を望んでのことだけではないのだ。

反田さんは以前から、いくつもの夢を温めている。

まず、日本の音楽教育を変えていくこと。海外の指導を経験し、日本の高等音楽教育には楽しさを教えることが抜けていると感じている。

「小さい頃の楽しさを失うことなくプロとしてやっていける音楽家を育成できるような、日本初の音楽院を作りたいんです」

また、力のある若手音楽家に道を拓き、同時にクラシックの素晴らしさを広く伝えること。ジャパン・インターナショナル・オーケストラを編成し、株式会社化してきたのも、ファンと音楽家をつなぐネット上のサロン「Solistiade」の運営も担ってきているのもその一環である。

そして、指揮者になること。

「小学6年の時に参加したワークショップで、オーケストラを前に指揮棒を振らせてもらいました。その感覚は忘れられません。指揮台に立ち、全身で音楽を浴びたい。今は日本でもウィーンでも指揮の勉強をしています」

そうした夢を確実なものにするためには、上位入賞者として世界に知られることが必要だったのだ。その覚悟の大きさに、息を呑む。

自分へのご褒美で買った【ライカ】が醸す、独特の詩情が好き

そんな反田さんの愛着の品は、音楽に関連するものかと想像していたのだが全く違った。カメラである。ライカSL2-Sに24-90㎜のレンズ。専用のケースから取り出されたそれはずっしりと重い。ほとんどプロ仕様の品である。

「もともと一眼レフカメラが好きで、ニコンを使っていました。軽くて撮りやすくて、海外でもよく持ち歩いていたんです」

取材を受ける機会が増えるうちに興味が一層増していた時、あるカメラマンに「ライカのレンズはすごくいいんだよ」と聞いた。実際、その人が撮った画像の雰囲気も好みだった。けれど、調べてみるとレンズだけでも70万円近くする。

「めちゃくちゃ高いですよね。だいぶ迷ったんですが、自分へのご褒美かなと。買ったのは2021年3月30日でした。趣味にこんなお金を使ったの初めてですよ」

撮るのは花や景色、動物などさまざま。

「やはり、これで撮ると何か違うんです。どこか詩的というか、この独特の雰囲気こそライカの魅力ですよね。ほら、覗いてみて」

うながされてファインダーに目を当てると、確かに風景が柔らかく美しく見える。

「こうして覗いているだけで、なんだか自分が映画の一場面にいるような感じがするんですよ」

撮った作を見せていただくと、なかなかの腕前。インスタグラムなどに上げるほか、ご自身のCDのジャケットにも使っているそうだ。

「趣味にしてはいい感じの写真になっているでしょう? 自己満足かも知れないんですけれど。最近はこれで撮るほか、一周回って、年に数回は『チェキ』や『写るンです』とかの独特の味わいも楽しんでいます」

たっぷりとお話をうかがった後、撮影のためピアノの前に座っていただいた。すると反田さんの手は鍵盤に向かう。その指先から突如、ショパンが、リストが、シューベルトが、キラキラとあふれ出す。その場を満たしていく音の華やぎは、からだ全部を染めていくようだ。なんて楽しそうに弾く人だろう。演奏は止まらない。耳の幸せとしか言いようもない。反田さんが言う“誰かに喜んでもらうために”という“原点”を思う。

「コンクールのファイナルの曲はあれからずっと弾いていなくて、最近やっと弾いたんですよ。そしたらすごく良くなっていた。本選までの苦しみを経て、自分の中に完全に入った感じがします」

反田さんが見ている未来の風景は、私たちには計り知れない。けれど、その繊細な感性のいくばくかは、愛用のライカで撮った写真から伝わるだろうか。

■反田さんが撮影した写真作品

【反田恭平さんの愛用品】

■ライカSL2-S+バリオ・エルマリートSL f2.8-4/24-90㎜ASPH



ライカのレンズに惹かれて購入。合わせて150万円ほどしたが、画質の独特の詩情感にはとても満足している。持ち重りする感覚も好みだ。でも常に気軽に持ち歩けるような重量ではない。

「だからこれは“今日は撮るぞ”の日用。ツアーに出る時も、専用バッグをオケトラに載せて持っていきます」

【取材協力】
スタインウェイ&サンズ東京



東京都港区北青山3-4-3 ののあおやま 1F
公式HP

文/秋川ゆか 撮影/田村 巴

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