56566「次のステップを踏むために欠かせない居心地の良い空間」|元プロ野球選手/野球解説者・五十嵐亮太

「次のステップを踏むために欠かせない居心地の良い空間」|元プロ野球選手/野球解説者・五十嵐亮太

男の隠れ家編集部
編集部
2020シーズンをもって現役引退した、東京ヤクルトスワローズ・五十嵐亮太さん。かつては、日本球界最速タイとなる158km/hをマークするなど、自身のストレートにこだわりを持ち、常に高みを目指してきた。そんな五十嵐さんを支えてきたのはスピードだけでなく、心と身体を休息する自分だけの場所があったこと。今回は、お気に入りの日本料理 菱沼(ひしぬま)で、これまでのキャリアを振り返りながら、五十嵐さんが思う「隠れ家」の魅力を語ってもらった。
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【プロフィール】元プロ野球選手/野球解説者 五十嵐 亮太(いがらし りょうた)
1979年、北海道生まれ。敬愛学園高等学校へと進学し、1997年にドラフト2位指名でヤクルトスワローズへ入団。クローザー転向後は最優秀救援投手や優秀バッテリー賞を獲得したほか、2004年には(当時)日本人最速タイ記録となる158km/hの豪速球を見せる。その後、メジャー・リーグに挑戦し、MLBニューヨーク・メッツをはじめ、ピッツバーグ・パイレーツ、トロント・ブルージェイズなどを渡り歩く。日米通算900試合登板を達成し、2020年のシーズンで引退した。現在は野球解説者として多方面で活躍している。

野球好きな五十嵐少年は、少しずつ勝負することへの魅力に引き込まれる

野球との出会いは、母が町内会の野球の監督から「野球チームに子どもを入れてみませんか?」と誘われ、そこから母に連れられて野球チームに行ったのがきっかけです。自ら進んで野球を始めたわけではなかったですが、とにかく野球が好きで楽しくてという幼少期を送っていました。高校生を迎えるころには、勝負することの面白さや、勝ち負けで一喜一憂する野球の奥深さに魅力を感じるようになります。そして、高校に上がると、運命的な出会いが待っていました。

敬愛学園高校に入学すると、監督がピッチャー出身で甲子園に出場した古橋先生という方で。内野手だった僕に対して、「ピッチャーをやってみないか?」と転向を勧められました。肩の強さを見抜いた古橋先生により投手への転向を促され、県内屈指の豪腕投手と呼ばれるまでに成長できました。

ターニングポイントになったのが、高校2年生の春の大会で登板したことです。相手チームにプロのスカウトが注目する選手がいたんです。その選手を見に来たスカウトが、僕が良いピッチングをしたので、それからグラウンドにスカウトの人が来るようになりました。そのチャンスを逃すまいと、練習量も一気に上げて更なる高みを目指し、その結果、高校3年の秋にドラフトでヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)から2位指名を受け入団が決定しました。

甲子園に出場しているピッチャーに比べると、実力の面では劣っていたと思います。ただ、投手としての絶対的な武器“ストレート”があったことで、将来性を評価してくれたんだと感じています。

プロ野球選手として長く活躍するため試行錯誤を繰り返す

プロ野球選手になると、それまでやってこなかったウェイトトレーニングを始めたほか、ただ走るだけでなくランニングの質にも意識を向けました。その甲斐もあり、体が大きくなり、わずか2年で球速が10km/hもアップ。「トレーニングで体を鍛え、投球の技術を高めていくことで、ピッチングのレベルは上がっていく」そう信じ続け取り組んでいたことが、結果にもつながりました。

2000年に最優秀バッテリー賞、2001年の日本一に貢献でき、2004年に最優秀援護投手を受賞できました。メジャーリーグから帰って来た翌年の2014年には、常勝ソフトバンクで「勝利の方程式」の一人としてキャリアハイの結果を残せました。

自分の中で、プロ野球選手として長く活躍するために大切にしていた流儀があるんです。短期間で成長する選手像よりも、長く投手として投げられる選手像を追い求めて、練習やトレーニングに取り組む。そのために何が必要なのかを若いときからずっと考えていましたね。自分の体を甘やかしちゃいけないと思うタイプだったので、自己治癒能力を高めるために、ストレッチでほぐせる範囲は自分でやる。年を取って自分で手が届かなくなったら、「疲れが取りにくい個所をトレーナーに任せましょう」という先輩のアドバイスを参考にしながら、1日1日を送っていました。

メジャー移籍後は自身と向き合う時間が長くなり、大きな糧となった

11年間ヤクルトの投手としてマウンドに立っていましたが、投手として伸び悩んでいた時期でもありました。ある程度の成績を残せていた一方で「このままではマズい!」と感じ、新しい刺激を求め、あえて厳しいメジャーリーグへの挑戦を決意しました。しかし、思い描いていたメジャーリーグの世界は、更なる試練となり、振り返ると「アメリカにいた3年間は辛かった」ことを思い出しますね。

アメリカの環境に関しては、そんなに馴染めないことはなかったんですが、文化の違いを感じていました。日本だったらキャンプから自分でいろいろやらせてもらえるんですけど、アメリカだと一つ一つの練習に時間が決まっていて、球数の制限もあったんです。

一番苦労したのはボールの違いに対応するのが難しかったですね。日本でやっていたスタイルでは通用しなかったので、投げていなかったカットボールやスライダーに挑戦しました。うまくいかない歯がゆさで苦しい時期ではありましたが、やらなきゃいけない環境に身を置くことで必死になり、少しずつですが成長できることを学べましたね。自分自身に問いかける時間はめちゃくちゃ長かったです。

最後まで乗り越えたという感覚はなかったですが、日本のシーズンよりも忙しさを感じながら日々を過ごしていました。日本では妥協するようなこともありましたが、メジャーでは「ダメだったら、次はこうしよう」と考えるようになり、イメージ通りにいかないことのほうが多かったんですが、日本にいるときの考え方と、アメリカを経験してからの考え方は大きく変わりました。そういった経験を貴重な財産として下の世代に伝えていきたいですね。

将来をイメージするためにうってつけの空間

2020年、23年間のプロ野球人生に別れを告げました。通算で906試合、日本のみなら歴代7位になる823試合に登板し、追い求めていた“長く投げられる投手像”にもなれました。

そんな現役時代で、シーズンに向けて英気を養うときに真っ先に行くお店がありました。それが、創業から40年近い歴史を持つ「日本料理 菱沼(ひしぬま)」です。店主の菱沼孝之さんとの出会いがきっかけで、かれこれ15年もお店に通っています。

実は、娘が同じ幼稚園というご縁で菱沼さんと出会いました。いわゆるパパ友です(笑)。それから、優勝したときのお祝いもここで食べたりするんですが、どこか落ち着く場所で、夢を語り合ったりする居心地が良い場所なんですよね。サビひとつない調理器具が壁に掛けられていて、道具を大事にする菱沼さんの姿勢に刺激を受けます。

あとは、出てくる料理もそうなんですけれども、炉端で焼かれている鮎を見たりしながら、何も考えずに鮎が焼けていく姿を見ているだけでも心地良さを感じるんですよ。そういう時間ってなかなか味わえないので、非日常に近いところが僕にとっての隠れ家のような気がしていて。子どものころ秘密基地に入ってワクワクするような感じの場所ってあったじゃないですか? いろんなものが詰まってる、そんなことを思い出すお店だと思いますね。

変わらない良さ・変わっていく良さの両方があることが刺激になる

「菱沼」に15年ほど通う中で、特に感銘を受けたことを挙げるとしたら“変わらない良さ”と、“変わっていく良さ”が常にあることですね。

料理にしても、変わらない良さもありながら、ちょっと変えながら進化させている。そういった料理人の志みたいなものが、僕のこれから進んでいく方向への志とも共通する部分で、刺激を受けますね。普段は仕事の話をあまりしないんですが、菱沼さんだったら嫌じゃない。心地の良い場所で自分の将来をイメージするのにもってこいの場所です。

丁寧に調理された「ふぐ刺し」と「ふぐ唐」。食材の持つ旨味が引き出されている。

何を食べても美味しいんですが、今はフグの時期だから「ふぐ刺し」と「ふぐ唐」をいただきました。フグ以外にも、おいしいお肉も出していただけますし、窯で炊いたごはんもおいしいので、胃袋と心を充分に満たしてくれる。

ワインはフランス産のものを中心にたくさん置いてあって、和食とワインを組み合わせて最高のひとときが味わえます。お店を出るときは、いつも幸福感に満ち溢れていますよ。

自分が最初に感じた“野球の楽しさ”のように、新たな可能性を模索したい

昨年の2021年から現役生活を終えて、新しい生活がスタートしました。野球で勝負するときの刺激がなくなった寂しさもありますが、家族との過ごす時間の長さが圧倒的に変わったので、生き方が変わりましたね。振り返ってもバランス良く過ごせた1年だったのかな。野球との向き合い方もプレイヤーじゃない視線で携わらせてもらい、「野球って楽しいな」って改めて感じることができました。

ただ、今は野球人口が減っている中で、野球をやりたいのにできない子どもがいると思うんです。そういった子どもたちと野球をやる機会や場所が増えるために、「自分に何ができるのか」を考えています。もちろん楽しいだけじゃないんですけれども、僕が野球を始めたときのスタートは楽しかったんですよ。それから、辛くても乗り越えるためにレベルアップできました。自分が初めて野球に触れた時からずっと感じている“楽しさ”のように、新たな可能性をずっと模索したいですね。

【店舗概要】
日本料理 菱沼(ひしぬま)



1985年に創業し、現在の六本木に移転したのは2005年のこと。清潔感の店内は隅々まで綺麗に掃除され、調理道具の一つひとつが光沢を放っている。「お客様には快適な空間で料理を味わってほしい」という菱沼さんのこだわりが感じられるかのようだ。また菱沼では、ごはんにもワインにも合う料理を提供し続けており、店内には130種以上のフランス産ワインを常備。ミシュランガイド東京で10年回星を獲得したほか、数多くの著名人からも愛されている。

東京都港区六本木5-17-1 AXISビルB1F
TEL:03-3568-6588
営業時間:11:30~14:00(L.O13:30)、18:00~23:00(L.O20:30)
(2022年2月現在、営業時間短縮のため12:00~21:00ディナーメニューにて営業中)
公式HP:https://www.restaurant-hishinuma.jp/

文/池田鉄平 写真/井野友樹

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