56755「パリで覚醒した表現力で新たなスタイルを探求していく」|バレエダンサー・西島数博

「パリで覚醒した表現力で新たなスタイルを探求していく」|バレエダンサー・西島数博

男の隠れ家編集部
編集部
日本国内に留まらず海外でも活躍してきた、日本を代表するバレエダンサー・西島数博さん。独創的な表現力を武器にバレエ界のイノベーターとして、俳優や振付師などジャンルを超えた活動で最前線を走り続けている。そんな西島さんが「隠れ家」として在り続ける場所で、これまでの人生を振り返りながら、独自の美学やスタイルを培った出来事や自身が描く未来像までを語ってもらった。
目次

【プロフィール】バレエダンサー 西島数博
宮崎県日向市で生まれ、3歳よりバレエを学ぶ。18歳の頃に単身で渡仏し、フランスの国際コンクール第1位を受賞するなど、国内外で幅広く活動する。帰国後はスターダンサーズバレエ団に所属する傍ら、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』出演から芸能界でも俳優として活躍。バレエダンサー、振付師として異なるジャンルとのコラボレーションを中心に多彩な創作活動を展開している。

■祖母から受け継ぐ3代目として、当たり前にバレエ生活へと染まる

九州の宮崎県日向市で育った家庭環境では、祖母がバレエのスタジオを主宰していました。祖母は人間国宝の舞踊家・石井漠の門下生でしたが、当時の日本はバレエの認知度がまだまだ低かったんです。

それでも僕がバレエを始めたのは、自分の意思というよりも家族環境の中にバレエがあったので、すぐに生活の一部となりました。寝たり食べたりするのと同じような感じで、「衣食住+踊る」という生活が当たり前でしたね。3歳の頃に創立者であった祖母が他界し、追悼公演が行われたのですが、その公演がバレエ人生で初舞台となり、そこから毎年バレエの舞台に立ち続けています。

最初に感じたバレエの魅力は、シンプルに人前で表現することでした。舞台に立って、言葉じゃなくて体で表現するわけですから。音楽に合わせて踊り、全身で照明やスポットライト、そして拍手を浴びる。発表会で舞台に立つ楽しみを覚えるのが早かったですね。そのためにレッスンをしている感覚でした。

西島さんの相棒・メルくん。取材中も西島さんを静かに見守っている。

そして、「将来はバレエをやっていこう」という思いが芽生えたのは、中学生の頃だったかな。中学生の時に全国のバレエコンクールに出場したんですが、もっと練習しないと東京や大阪の子たちにレベル的に負けてしまう。その時に向上心や危機感が芽生えました。自宅にスタジオがあったので、すぐに練習できる環境に居たのは、すごくラッキーでしたね。それから16歳の頃にはコンクールで決勝入りするなど、国内での評価が高まっていきました。

学業とバレエの両立は大変でしたが、どちらも忠実にこなしていたと思います。例えば、日向市から都城市まで車で何時間もかけて移動して発表会に出て、また学校に通う生活の繰り返し。いま思うと大衆演劇の子役のような生活ですよね(笑)。でも、常に楽しい気持ちが原動力だったので、嫌だという記憶はないですね。高校生までそんな風にずっと育ちました。

■フランスで学んだ、表現力と助言が人生のターニングポイントになる

バレエの更なるレベルアップを求めて、高校卒業後に単身でフランスへ渡ることを決意したんです。フランスへの想いは、幼少期から既に芽生えていました。テレビで海外の風景を見ていて、一番行ってみたいと憧れたのがフランス・パリの風景。ニューヨークやロンドンではなく、パリの風景に興味を持ったのが早かったんです。幼稚園の時に「好きな国旗を描きましょう」と言われて、フランスの3色の国旗を描いたこともよく覚えています。それぐらいフランスに興味を持ったのが早かったです。

あと、フランス人のバレエダンサーにも魅せられていました。パリオペラ座バレエ団で有名だったパトリック・デュポンです。小学生の頃から憧れていて、「こんな踊りが踊れるダンサーになりたい」と最初に目標としていました。だからこそ、本物のバレエ芸術文化を学びたかった。西洋文化なので、日本でやっていても感じ取れない表現力を、同じ空気を感じながら体得したかった。

フランスへ渡る際、両親から「合わなかったら帰って来なさい」と帰りのチケットを持たされていました。けれど、1週間もしないうちにフランス・パリの空気感やここで生活をすることにすごくワクワクしていたんです。毎日が夢のような時間と感じ、自宅以上の心地良さを感じていました。それは、小さい頃からバレエやダンスの環境の中が多く、独りの時間があまりなかったんですが、パリでは「独りの時間がこんなに楽しめるんだ」と気付かされました。

向こうでは日本語が通じないので、会話集や辞書で勉強していました。現地に長く住んでいる日本人の知り合いがいて、「もしも困ったことがあったら、その人を頼りなさい」と言われたけど、一度も連絡しなかったです(笑)。それくらいパリの空気に自分が溶け込んでいったのを覚えています。そして、翌年にはフランス・カルポー賞国際バレエ・コンクール男性シニア部門第1位受賞を勝ち取れました。国際的な評価をもらえた機会であり、バレエ人生での貴重な財産となりましたね。

渡仏するまでの日本のコンクールでは、予選落ちから始まり16歳の時に決勝に残りましたが、入賞することは叶いませんでした。ただ、そんなに悔しい気持ちにもならなかったんです。自己表現の世界なのでスポーツの点数のような競争じゃない、「人と競うことではなく自分との戦いだ」と思っていました。

僕の理想形は、フランスのダンサーのように品のある表現がしたかったんです。フランスのスタイルは“エスプリ”と言われるんですが、品位の高いイメージ。おしゃれな感覚がとても好きでした。そういった表現をずっと目指していたんですが、そういう環境に居ないと自然にフィットしていかない。フランスでのレッスンは、朝、昼、夜でそれぞれ違う先生に習っていました。舞台を観に行けるときはバレエ、オペラ、演奏会と色んな劇場や映画館、美術館にも行き、毎日のように芸術に触れる生活を送っていたんです。そんな経験がバレエでの表現力につながりましたね。

フランスの生活で教えられたのは、表現力だけではありません。「壁を作らずに拒否しない」。自分から壁を作らないことの重要性でした。フランスで出会った方々と話していて、「日本人は真面目だから」と言われたことがあります。悩みを相談すると、「考えすぎ、楽しまなきゃ駄目だよ。毎日楽しめばいいだけ!」ってアドバイスされて、そうだなって素直に思いました。フランス人のポジティブシンキングには、すごい影響を受けましたね。自分も自由に生きていたつもりでしたが、まだまだ固かったんだなと感じました。そういうことを学べた10代の感覚は忘れられないですよね。

■小さい頃から毎日居ても飽きない、苦しいときも支えてくれた空間

それからヨーロッパやアメリカなどで100を超える公演に出演し、帰国後もスターダンサーズバレエ団にて世界を代表する振付家の作品に出演しました。現在は、演出・振付家、俳優としても活動していて、表現の幅を広げています。

そんな自分にとっての隠れ家は、やっぱり小さい頃からずっと居る稽古場、スタジオになりますね。寝室に居るのと同じくらい居心地が良いです。スタジオや稽古場に居ると、時間が経つのがめちゃくちゃ早く感じます。「朝に入ったのにもう夕方?」みたいな。トレーニングしたり、振り付けを考えたり、みんなとリハーサルしていたり。そんな時間が作れる場所はすごく幸せな空間なんですよね。毎日居ても疲れない場所でホッとします。あとは劇場もです。劇場に居ると何故かホッとするんです。

文化や慣習に捉われず、創造的なダンスを魅せる西島さん。

それでも劇場は勝負の場所でもあるので、苦しかった過去もありました。振り返ると、もう全然駄目で舞台から降りた経験もあります。怪我から精神的な苦痛も強くなってしまい……。申し訳ないけど、本番を辞退したことや、本番中の舞台でアキレス腱断裂の大怪我をして降板するハプニングもありました。芸能界と同時進行していたので、クラシックバレエの主演と掛け持ちでやっていく難しさに悩まされたり、台詞で表現する俳優業とアカデミックなクラシックバレエの表現の違いにも悪戦苦闘しました。

そういった苦闘ともいえる時期でも、スタジオは隠れ家として僕を支えてくれたんです。そして出会いにも恵まれて、新たなスタジオ「Studio Balletto & Pianoforte」も生まれました。このスタジオは、プロデュースさせていただいてから10年近くなるかな。イタリアのミラノ在住のピアニスト・吉川隆弘さんと出会い、ピアノとバレエのスタジオもできて、良いご縁になりましたね。スタジオだけじゃなくて、上の階にキッチンもあって、仲間とテーブルを囲んで食事したりもします。

キッチンにはワインセラーも用意されており、その日の気分に合った1本を選ぶ。

ワインセラーもこれだけありますし、外へ出掛けるよりお得感がありますよね。ダンスだけでなく、料理でもオリジナルのメニューを作ることがよくあって、独自の世界観や美味しいものをみんなで共有したいんですよね。

■子どもの頃の夢や目標を実現したからこそ、描きたい新たなスタイル

プロダンサーになる前に思い描いていた目標があって、そこに向かって突き進んでいました。「バレエとエンターテインメントが融合する舞台を創るために、貢献できるようなダンサーになれたらいいな」と考えながら活動していたら、出会いや環境に恵まれて実現することができました。あと、「テレビに出てバレエを広められるようになれたらいいな」と思っていたら、俳優の仕事をしながらバラエティー番組に出演したこともあります。テレビに出られるようになって若い後輩たちも興味を持ってくれるようになり、今ではバレエダンサーがテレビに出る機会も増えましたよね。

改めて振り返ると、贅沢な話ではあるんですが「こんなに実現するの?」と思えるほど達成し、今では目標を描くのが少し難しくなっています。これからもバレエに携わっていきますが、目指す理想像がバレエだけじゃなくなってきているかも知れません。例えば、全然違うジャンルに興味を持つこともあります。ファッション、インテリア、花屋とか、違う業界に自分が関わることで新しい発想やコラボする形で新しいスタイルが生まれたら面白いんじゃないかな。あとは、ダンサーが集まるようなカフェやレストランもいいですよね。いつもバレエ音楽やダンスミュージックが流れるような、心地良いカフェスタイルにも興味があります。

思い起こすと、フランス生活で魅了されていた華麗な景色が今でも目に浮かびます。パリにあるような花屋、カフェ、ブティックが素朴なのにおしゃれ。着飾ってないようなスタイリッシュな感じが好きなんですよ。踊ること以外にも何かを生み出すようになることが今後の目標です。それを探し続けたいと思います。

【西島さんのセットアップ】
■私服
adn(エー ディー エヌ)
 ・シャツ/28,600円(税込)
 ・Tシャツ(ホワイト)/16,500円(税込)
 ・デニム/31,900円(税込)
BOTTEGA MARTINESE(ボッテガ マルティネーゼ)
 ・Tシャツ(ネイビー)参考商品
問い合わせ:ユーロファッションジャパン
TEL:03-5422-3273

■トレーニングウェア
SY32 by SWEET YEARS (エスワイ32 バイ スイートイヤーズ)
 ・STARTER KIT/55,000円(税込)
(中綿ジャケット、プルオーバーフーディー、ロングスリーブTシャツ、スウェットパンツ、キャリーバッグ、マスクとベーシックアイテム6点を揃えたスターターキット)
問い合わせ:SY32 by SWEET YEARS
TEL:03-6380-9822
URL:http://www.sy32.jp

西島数博オフィシャルYouTube「NISHIJIMA DANCE CHANNEL

文/池田鉄平 撮影/井野友樹

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