67246「アジア人初の世界チャンピオンへと導いた愛用品と家族の教え」|バリスタ・井崎英典

「アジア人初の世界チャンピオンへと導いた愛用品と家族の教え」|バリスタ・井崎英典

合同会社エーライト
菅堅太(エーライト)
目次

アジア人初の世界チャンピオンとして、コーヒーを通じて日常のささやかな癒しや平和な世界を創るために、さまざまな活動をしている井崎英典さん。バリスタとして確固たる地位を築きながらも、自分と向き合い学ぶことに貪欲だ。

そんな井崎さんの人生でのターニングポイントとなった愛用品との出会いや、そこから始まったキャリアストーリーを語ってもらった。

【プロフィール】バリスタ 井崎英典
1990年生まれ。第15代ワールド・バリスタ・チャンピオンであり、株式会社QAHWA代表取締役社長。2012年に史上最年少でジャパン・バリスタ・チャンピオンシップにて優勝し、2連覇を成し遂げた後、2014年のワールド・バリスタ・チャンピオンシップにてアジア人初の世界チャンピオンに。現在はバリスタ/コーヒーコンサルタントとして、過去30か国以上でコーヒーのコンサルティングを行うなど、グローバルな活動を続けている。

■16歳ながらにして、“バリスタとして”人生を賭けた挑戦が始まる

アジア人として初のバリスタ世界チャンピオンへと登り詰めた井崎英典さん。

“コーヒーには人種、国境、言葉、あらゆる「壁」を乗り越えて人を繋げる力があります”

その言葉を体現するかのように、コーヒーを軸として多岐に渡る活動をしているが、井崎さんのコーヒーとの出会いには、どんな物語があったのだろうか。

「僕が小学校ぐらいのときに、父親が何を考えたか、コーヒー屋をやり始めるんです。そこからずっとコーヒー屋をやってたんですけど、僕が高校を中退したタイミングで、『やる気があるならコーヒーやるか?』と普段は何も言わない父親が珍しく誘ってくれたんです」

予想外の父親の言葉に背中を押される形で、バリスタとしてのキャリアがスタート。当時の井崎さんは、これが一生の仕事になるとは思っていなかった。しかし、16歳ながらにして“これがうまくいかなければ、何をやってもうまくいかないだろうな”と考えていたと言う。

コーヒー屋は常連のお客さんが多く、年配の方も多かった。おばあちゃんからは、井崎さんを見るたびに、「いい子ね」「頑張ってるね、ヒデ君」と言われた。そんな一言ひとことが井崎さんの心に響き、コーヒーへの向き合い方も変わっていく。

「どう考えたって微妙なコーヒーだったんですけど、それを飲んで『美味しい』って言ってくれたんです。それが原体験でした。すごく嬉しかったので、そこからのめり込んで楽しくなり、向上心が備わっていきました」

■躍進は止まらず、アジア人初の世界チャンピオンを掴む

その後、さまざまな経験をしていくと、コーヒーの技術よりも人間としての教養が足りないと、バリスタとして最初の壁を感じた。それを克服しようと「大学入学資格検定」を取得し、法政大学に入学。学業にも精を出しながら、週末は長野にあるスペシャルティコーヒー専門店・丸山珈琲で働き、バリスタとしての研鑽を積む日々を送る。

「僕にとって、バリスタという仕事とバリスタチャンピオンシップという競技会がとても輝けて戦える場所だなと直感的に感じたんです。だからこそ目標に向かっていくだけだと思ったので、やるべき勉強を明確にして突き進んでいましたね」

その言葉通り、井崎さんは2012年のジャパン・バリスタ・チャンピオンシップにて史上最年少で優勝し、翌年には同大会で2連覇を果たした。その後も井崎さんの躍進は止まらず、2014年にイタリアのリミアで開かれたワールドバリスタチャンピオンシップでは、アジア人初の世界チャンピオンという快挙を成し遂げたのである。

■初めて海外を意識した人生のバイブルとなった一冊【何でも見てやろう】

高校中退から、アジア人初のバリスタの世界チャンピオンになった井崎さんの軌跡は、さまざまなメディアでも取り上げられている。そんな井崎さんを支えた愛用品とのストーリーを尋ねてみると、小田実さん著者の『何でも見てやろう』という書籍を紹介してくれた。

「これは僕のバイブルで、東京で働いていた叔父がプレゼントしてくれたんです。僕が高校を辞めた時に、『おまえ、人生どうするの? 何も決まってないなら、絶対東京行け』って。“東京は、世界につながる玄関だから福岡にいるな”と。これを見たら生きる活力になるからって紹介されたのが、この『何でも見てやろう』なんです」

『何でも見てやろう』は、著者の小田実さんが欧米・アジア22か国を1日1ドルで回る貧乏旅行の日々が赤裸々に描かれている。その内容は、先進国の現状から後進国の凄惨な貧困まで、自分の足で現場に行きリアルな現実を描いた一冊だ。

ページをめくると、当時の井崎さんが読めなかった漢字に振り仮名が書き込まれていた

高校中退して先が見えない井崎さんにとって、小田実さんの行動力と好奇心がとても衝撃的だった。地球の歩き方もインターネットも存在しない時代にこんなテンションで海外に行けるんだったら、自分も行けるかもしれない。初めて海外を意識し、視野が広がった一冊となった。

「うまくいかないときって特にそうだと思うんですけど、原点に戻ることをすごく大事にしていて、棚卸しの時間だと考えるようにしてるんです。足掻いたって、結局うまくいかなくなるだけ。そういうときに自分の原点に立ち返るように、『何でも見てやろう』を読むことがルーティーンになっていますね」

■一流のものに触れることが、一流になる最短の道【ぺコラ銀座・オーダースーツ】

続いて井崎さんが紹介してくれたのが、ジャケットだった。

「こちらも、もう一人のすごく格好いい伯父さん(母親の兄)からのプレゼントです。僕が10代の時、伯父さんから『男である以上、吊るしのスーツを着るようなダサいことをするな。男の格は着てるもので決まるから、仕立てろ』と注意されたんです。全部作ってやるからって言われて、作ってもらったんです。実際、伯父さんもお金を気にせず、本当に良いモノを身に着けていました」

そんな伯父さんがずっと行っていたのがペコラ銀座という、高級オーダースーツで有名な店だった。「ファッションは生き様だ」と伯父さんが教えてくれた言葉が、今も井崎さんを突き動かす原動力になっていると言う。

「ようやく自分が世界チャンピオンになった時のジャケットだったり、シャツだったりと、ペコラ銀座には今でも“いざという時”に作ってもらってるんです。僕は伯父の言うとおり吊るしは着てない、持ってないんです」

一流になるには、一流のものに触れること。「だからこそケチってはいけない」と話す井崎さん。当初はよく分からなかったが、10年以上経った今だからこそ、伯父の言ったことが身に染みて分かるようになった。

「実はこのジャケット、伯父のおさがりなんです。伯父が19歳ぐらいの時に『ボルサリーノ』や『さらば青春の光』を観て、かっこいいなと仕立てたジャケットらしいんです。ロロピアーナの滅茶苦茶いい生地が使われていて、それをもう一回、僕の型にして仕立ててくれた。僕はそういうものの方が価値があるなと思ってるんです。新しい生地でやるのも格好いいんですけど、ストーリーを受け継ぐことにすごく価値を感じています」

■息子の子どもにも伝えることができる、受け継がれるべき【南部鉄器】

最後に井崎さんが紹介してくれたのは、「なかなか見ないですよね」と言いながら持ってきてくれた鉄瓶だ。

「これにもストーリーがあって、コロナ禍で出会ったWAGYUMAFIAの浜田寿人さんとの出会いがきっかけです。鉄瓶は、浜田さんにご紹介頂いたコーヒー好きのとある社長に教えてもらいました。オフィスにもお邪魔したんですが、贅を尽くした空間が広がっていて、その界隈では一流の方だったんです。流れでコーヒーを淹れてもらうことになり、とんでもなく黒光りしたコーヒーが出てきた時は『これは大丈夫か?』って不安になりました(笑)」

しかし、実際に飲んでみると、驚くほど甘く美味しかった。その理由が南部鉄器にあることを知った井崎さんは、南部鉄器を見に行くために盛岡まで行くことに。今回持ってきてくれた鉄瓶は、その際に出会った感動品だと紹介してくれた。

「これは寛永2年から続く鈴木盛久工房の作品です。鈴木盛久さんの鉄瓶は5個ぐらい持ってるんですけど、特に気に入ってるのが、この『獅子紋鉄瓶』。鉄瓶ってすごく面白くて、“育てる”っていう概念があるんですよ」

鉄瓶は毎日使うことで少しずつミネラルが堆積してゆく。そして、鉄のイオン交換が起こることで、水がまろやかな味わいになるという。

「僕自身、鉄瓶そのものに感動しました。ただお湯を沸かすための道具なのに、40~50万円、高いと100万円を超えるんです。それだけの値段がする理由は、日本ではただお湯を沸かすだけじゃなくて、お湯を沸かすプロセスに物事の重きを置いているからなんだと思います」

鉄瓶との出会いを通じて、「時間と忍耐が作る芸術がある」と実感した井崎さん。時が経つほどに味わいが変わる逸品にロマンを感じている。

「これは僕の息子にも受け継ぐことができる。『これはうちのおやじが使ってて……』っていうのを、その息子の子どもにも伝えられる。それぐらい、受け継がれるべきものだと思っています」

■バリスタの価値を高めて、一杯のコーヒーで優しい社会の実現に貢献したい

井崎さんは、コーヒーコンサルタントとして、国籍、文化、あらゆる業界の垣根を越えて、活動するなかでかけがえのないものと出会い自身の成長へと繋げていた。そんな井崎さんに今後の展望について思いの丈を語ってもらった。

「ここから、どう自分のキャリアを築き上げていくかで明暗が分かれると思うんですが、世界中を回ってきて、僕のやるべき仕事が見えてきました。それはコーヒーを媒介にして、人の素敵なコーヒーブレイクをたくさん作ることです」

井崎さんは、コーヒーブレイクの先にある平和な世界「brew peace(ブリューピース)」を目指していると言う。

「今、国際関係も緊張していて、ぎすぎすしてる時代じゃないですか。だからこそコーヒーを通して、少しでもほっと一息つける場所をつくるのが僕の仕事だと思ってます。コーヒーから育む友情は、世界中、国境関係なく生まれるはずです。その結果として、バリスタという職業がプロフェッショナルな仕事になるのが理想ですね。美味しいコーヒーを通して、日々の幸せの連鎖を紡ぎ、優しい社会の実現に貢献できたらと思います」

【井崎英典さんの愛用品】

■書籍『何でも見てやろう』

日本の若者たちを彷徨の旅に駆り立てた“元祖旅本”とも呼ばれる一冊。若かりし頃の井崎さんの海外への道標となり、今でも自分と向き合う際に欠かせない一冊だと言う。
当時、読めない漢字に書いたフリガナは、今も色濃く残っている。

■ペコラ銀座のスーツ

海外でも豪華なイベントの際によく着る一着。井崎さんが最初に作ってもらったシャツは世界大会でも着ていたと言う。
マリオペコラの仕立てを見たイタリア人から、「ヒデ、いい生地使ってるね」と言われたことも。ファッションを楽しんでいるヨーロッパでも一目置かれるジャケットである。

■南部鉄器 獅子紋鉄瓶

鈴木盛久工房の16代目・成朗さんが作った「獅子紋鉄瓶」。芸術家が作る鉄瓶は、井崎さんのコーヒーへの考え方に通じるきっかけになった。
「人生は間違いなく今の方が豊かです。そのきっかけとなったのは、この鉄瓶でした」と井崎さんの価値観や成長を後押した作品だ。

【書籍情報】
『ワールド・バリスタ・チャンピオンが教える 世界一美味しいコーヒーの淹れ方』

自身初となった本書は、「自分好みの味」を知ることで「自分にとっての最高の1杯」に出会うための方法や淹れ方などが網羅された一冊。発売以降、現在も重版が続いている人気作。
▶︎Amazon『ワールド・バリスタ・チャンピオンが教える 世界一美味しいコーヒーの淹れ方』(ダイヤモンド社)

『世界一のバリスタが書いた コーヒー1年生の本』

最新作の『世界一のバリスタが書いた コーヒー1年生の本』はハードルが高そうな趣味としてのコーヒーの「敷居を埋めるほど低く」するために書き上げた一冊。
イラストも豊富で読みやすく、誰でも最初の一歩が簡単に踏み出せる。
▶︎Amazon『世界一のバリスタが書いた コーヒー1年生の本』(宝島社)

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文/池田鉄平 撮影/井野友樹

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