平安京に育った優れた意匠と高度な技術
アルミや銅、真鍮などの金属を「叩く」「切る」「丸める」「編む」といった技法を用いて形を作り、表面を加工して仕上げたものが金物加工品である。例えば、鍋、フライパン、金網、包丁、茶こし、茶筒……。
ひとつの行平鍋(雪平鍋)が造られていく工程を見ていると、思わず、手の動きに引き込まれていく。よどみのない水の流れのような技なのだが、木槌や玄翁(げんのう)で、金属を叩く加減のスリリングさといったらない。思えば、千数百年前、京の都には、あちこちで読経のように槌の音が聴こえていたのだろう。
平安遷都に伴い、金物加工の技術者や細工師も、京へ移り住んでくる。宮廷文化が栄え、都が安定してくると、優れた意匠と高度な技術が伝承され、多数の金物工芸品が生まれた。デザインの作風も日本独自の優雅なものに変わっていく。「鋳金(ちゅうきん)」「鍛金(たんきん)」などの技法が完成していったのも、この頃である。
手編みの美しさに感動したフランス人が弟子入り志願
京都市東山区高台寺に「金網つじ」という店がある。金網も古くからあり、おそらく奈良時代からといわれている。辻徹さんに、焼き網の手編み作業を見せていただいた。縦すじと横すじが均等に編まれていく。
「菊出し」という編み方もあり、中心から放射線状に広がる針金を、六角形=亀甲(きっこう)に編み込んでいく。写真の「茶こし」に見られるように、針金一本から手で編み込むのだが、この技術の奥深さが見て取れる。
過去にパリの見本市“メゾン・エ・オブジェ”に出品したとき、作品をみて感動したフランス人ワイヤーアーティストが「弟子入りさせてくれ」と京都へやって来たという。
「お茶の文化は世界中にありますからね。紅茶用に『TEA STRAINER』という商品を出しましたが、売れ行きは良いですね。あまり売れないのは灰汁取りでしょうか。海外にはアクを取るという習慣自体がないみたいですね」
国の習慣や体にあったサイズは、海外向け商品を考える上で、大切なことになるようだ。
「紅茶用を作る前ですが、いつもの茶こしをすすめたとき“トゥー・スモール”と断られました(笑)」
昭和30年代には30軒以上あった京金網細工の店は、今や片手で数えるほどまで減ってしまったという。辻さんの挑戦が手編みの金網を世界へ広げることになったなら、なんと楽しく素晴らしいことだろうか。
文/赤岩州五