78766【作家の書斎訪問】門井慶喜|メレル・ヴォーリズへの敬意と思慕作家として歩み、書き続ける

【作家の書斎訪問】門井慶喜|メレル・ヴォーリズへの敬意と思慕作家として歩み、書き続ける

男の隠れ家編集部
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『家康、江戸を建てる』『銀河鉄道の父』などの作品で知られる小説家・門井慶喜。大阪府寝屋川市に建てた一戸建ての書斎は、膨大な書棚も兼ね備えた2階建ての建築。設計を担当したのは名建築家の遺志を受け継ぐ一粒社ヴォーリズ建築事務所である。

【プロフィール】門井慶喜
1971年群馬県生まれ。同志社大学卒。2003年「キッドナッパーズ」で第42回オール讀物推理小説新人賞を受賞、06年に最初の著書となる『天才たちの値段』を刊行する。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』が第69回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を、18年『銀河鉄道の父』が第158回直木賞を受賞。16年『屋根をかける人』では明治末期に来日したアメリカ人建築家・メレル・ヴォーリズの生涯を描いた。

(※その他の写真は【関連画像】を参照)

■本に囲まれて過ごした学生時代。読書の魅力は色褪せることなく今に至る

住宅街に忽然と現れる塔。教会を思わせる印象的なこの建物は、作家・門井慶喜さんが建てた書斎兼仕事場である。執筆作業が終わる18時30分頃、辺りはすっかり暗くなっているが、家からは暖かな光が漏れている。

蔦の紋様に彩られたアーチ状の玄関をくぐると、そこには門井さんの圧巻のプライベートライブラリーが広がっている。玄関に上がり框(かまち)はなく、靴を脱いだらすぐに書斎のある2階へ一直線につながる大階段である。

玄関前にはイニシャル「Y・K」をデザインした門柱が立つ。
大階段を上った先に書斎と仮眠室がある。
当時の社会風俗や世相に関する新聞記事が豊富な『新聞集成 明治編年史』の全集。

「そうですね、書斎の夢…、大学生の時は京都の大学に通っていましたので、下宿でワンルームでした。ある時期からたくさん本を買うようになって、それが書斎的なものの始まりなんだろうと思います」と門井さん。

幼少の頃、読書家だったという父の影響を受けて、本の魅力に目覚め、気づいたら本の中で寝泊まりをする生活を送っていた。そして今は本に物語を紡ぐ作家となった。

門井さんの朝は早い。毎朝4時に起床して4時30分には書斎に入る。8時頃まで仕事をしてから昼寝、近所の河川敷をジョギングして体を動かしながら、夜まで執筆は続く。

「就職して数年目からですね。小説の新人賞に応募するようになって、当時は大学の事務職員として働いていたのですが、家に帰って小説を書くとなると頭が疲れている。これではいけないと朝型にスイッチしたんです。当時はあらゆる早起きの方法を試していました。たとえば枕元にバナナを置いて、朝起きたら布団の中で食べるとか(笑)。すぐに血糖値が上がるので目が覚めると思っていたのですが、本人としてはとにかく必死でした」

アーチ状の玄関から一直線に中央階段へとつながる動線が非常に効率的。そして階段を囲むように本棚が整然と並べられている。

資料を保存する1階の書庫には大階段を取り囲むように本棚が並ぶ。大学生の時に集めた幸田露伴全集をはじめとした作家別の全集、市町村史や社史、幕末や明治時代関連の資料、あるいは国別の棚には海外小説から「地球の歩き方」まで。また3月に発売予定だという菊池寛の評伝小説の資料にした文藝春秋の社史には、おびただしい付箋が貼られていた。

「古本の世界では電子になっていない本が圧倒的多数です。国立国会図書館に収められているごく一部の本がアーカイブで公開されることもありますが、僕らはそれだけでは仕事になりません。たとえばW・M・ヴォーリズを書いた際も基礎資料は集めますが、当時の人々の噂話であったり、外国人をどう見ていたのか、差別していたのかなどは古雑誌なども参考にした方が早かったりします」

本棚に囲まれて来客と語らえるよう机と4脚の椅子が置かれていた。書庫の空間ともマッチしている。
19世紀末の英国アンティークで揃えているという椅子。背もたれには植物のような模様をあしらった浮き彫りの彫刻、脚は優雅な曲線を描いている。重工業化が進んだ当時の英国で手仕事にこだわった家具職人たちのクラフトマンシップを感じさせる。
使い込まれて味わいのある丸テーブル。

もともと2LDKの部屋を2部屋借りて仕事場と書庫にしていたが、最後は本を平置きにせざるを得ない状況だった。そんな時に偶然空き地を見つけた。そして地主さんに直接お願いをして書斎の建築にこぎつけた。

完成したのは令和2年(2020)の暮れ。設計は大手ハウスメーカーと一粒社ヴォーリズ建築事務所に相談していたが、最終的に設計の自由度が高い後者に決めた。

たとえば1階の大階段は、一般的なハウスメーカーは「安全」のためにいくつか踊り場を設けるのが普通だが、直線を維持しながら踏み面を広くして傾斜を緩やかにした。

そもそも現在は部屋の換気にいたるまで建築基準法が厳しく定められており、それを守らなければ新築はできない。自由とはいっても、基本的な安全を確保した上で設計の楽しさを追求した書斎に仕上がっている。何より小説で建築家、W・M・ヴォーリズを描いた門井さんにとって思い入れのある事務所であることは間違いない。

2階は書斎と仮眠室に分かれており、キッチンは最小限のスペースだ。書斎には作品を生み出す中枢部といえるカリン材の大テーブルを配している。これを門井さんは「稲妻型」と名付けており、2カ所で作業ができるようになっている。司馬遼太郎のブーメラン型机を参考にしたもので、V字の机を2つにつなげたのは門井さんの独創である。

「座りながら移動するので机を大きくしてほしい、でも足は減らしてほしいと言ったんです。言いたい放題です(笑)」

すると設計士は専門家にも相談した上で、机の中心に太い心柱を一本だけ入れてサイドの脚を細くした。そのため椅子で移動しても足が当たらない。重い資料を乗せるので、頑丈で何十年も使えるものにしたかった。「言ってみるものですね」と門井さんの顔も綻ぶ。

また、この書斎によって変化したのは長時間作業をする時に疲れなくなったことだ。

「無駄な空間があることに何か関係があると思うんです。空間効率を考えたらこんなに天井は高くなくてもいいんですが、これはここに来てわかったことですね」

書斎の天井はそのまま建物上部にある塔へとつながり、吹き抜けになっていて上と下の換気になる。塔自体は設計者の趣味だとか。教会建築を多数手がけた、ヴォーリズの建築事務所らしいアクセントになっている。

2階にある書斎は稲妻型の大テーブルを配した作品執筆の中枢部。吊り下げ照明を中心に影が出ないよう空間全体を照らしている。

門井さんの書庫に囲まれていると、司馬遼太郎記念館の司馬氏の蔵書を並べた大書架を想起させるものがある。実際に門井さんも同館には何度か足を運んでいるそうだ。

「やっぱりたくさん読みましたね。資料の調べ方は影響を受けています。小説もどのページを書いている時点で、どの資料を調べ始めたのかわかってくるんですよ。司馬さんは全然違うよと言うかもしれませんが(笑)。とても調べ方の効率が良い、プロですよね」

思い出の本は実家に置いてきたということだが、本棚には司馬遼太郎作品の文庫がしっかりと並べられていた。持ち主の来し方を感じられるのも書斎の面白さだ。そして、これからそんな空間を作ってみたいという読者の方へ面白いアドバイスをいただいた。

「一つは『机』から考えるということではないでしょうか。書斎は本棚から考えていく人が多いと思うのですが、本の並べ方に凝っても、机に凝る人はあまりいないような気がするんですね。でも本当に長く自分が居る場所は机の前ですから、机を基準に本の置き方を考えると快適な書斎になると思います。そしてもう一つ、隠れ家であっても人が来ることを想定してみると楽しいですよ」

インターネットやスマートフォンで文章を読むことが当たり前になった時代。あらためて読書の魅力についても見つめ直したい。

「たとえば坂本龍馬が薩長同盟をしなければならなかった本人の心情的理由は何だろう、周りの状況的理由は何だろうと考え出すのは自分の作業です、それはネットでも書籍でも同じだと思います。知識自慢も悪いとは言わないですが、文章を読む能力はそこにはなくて、情報の奥にあるものを想像しようとするところから始まるのでしょう。

本を読むと普通は接することのできない考えや話に出会えます。幸田露伴も読むのには慣れが必要ですけれど、嵌まってしまったらこの日本語は露伴でしか味わえません。泉鏡花とも夏目漱石とも、井原西鶴とも違う。そうした世界を知ってしまうと後戻りできなくなりますよ」

『銀河鉄道の父』執筆時の全集などの資料も書庫に収められている。このほか芥川龍之介や幸田露伴、夏目漱石、森鴎外などの全集も並んでいた。
ASUS(エイスース)の曲面型ディスプレイと長時間の作業にも耐えるREALFORCEのキーボード。執筆中は資料の参照で動き回るため、肘掛けのない椅子を採用している。

それではあらためて、門井さんにとって書斎とはどのような空間なのだろうか。

「そうですね……持ち主がそこでしかできない考えを持つことができれば、そこはもう書斎ではないでしょうか。本はどれだけあっても補助の道具に過ぎません。こうした空間をつくっておいてなんですが、どんなことがあっても人間が『主』で、本が『従』ですよ」

さまざまな本が置かれた書庫は、まるで過去を生きた人物たちとの語らいの場であるかのようだ。その一角には、門井さんの父の蔵書もさりげなく収められていた。小さな会社を経営しながら、門井さんを読書の世界へと誘ってくれたという父。本や道具に目が行きがちな書斎だが、門井さんの机の背後には生前の写真が大切に飾られている。そして、その背中を見守っているようだった。

【インフォメーション】
『銀河鉄道の父』
門井慶喜著 1012円/講談社文庫

宮沢賢治と父・政次郎の親子愛を描いた、第158回直木賞受賞作が映画化。
宮沢賢治の紆余曲折に満ちた生涯を父・政次郎の視点から描いた第158回直木賞受賞作。2人の生き様と関係性からこれまでにない賢治の人間像が浮かび上がる。5月5日(金・祝)より映画も全国公開予定。

撮影/渡部健五

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