北信の名寺に伝わる戦国の争乱に翻弄された鐘
「善光寺の御本尊はね、今から1400年以上前にインドから百済を経て日本へ渡ってきたもの。日本に現存している最も古い仏像と言われているんだよ」
善光寺山門手前の案内所にて、気さくな案内人が学生相手に解説する姿を見ていた時のことだった。参拝者の雑踏に包まれた境内に太く重い音が鳴り響いた。ゴーン、ゴーン、ゴーン――。時計の針は午後1時を指している。庶民の心のよりどころであり、信州を代表する名所、善光寺の鐘はこうして午前10時から夕方4時まで、毎正時の訪れを伝えている。
善光寺の梵鐘が造られたのは正和2年(1313)のこと。重さ150kgの堂々たる銅製の鐘。しかし、現在あるものは寛文7年(1667)に新たに鋳造されたものだ。先に造られた梵鐘はいま、山梨県の甲斐善光寺に置かれている。
その経緯をひもとくと、上杉謙信と武田信玄が争った川中島の戦いにたどり着く。この二人が神仏信仰に厚かったことは有名だが、覇権争いのなかで善光寺の権威を握ることは、権力闘争の具であった。川中島での激突を前に、善光寺に火が付くことを恐れた信玄は、秘仏の本尊を甲府に持ち出したのである。その際、数々の秘蔵品や僧侶も甲府へ移され、梵鐘もまたそのひとつとなった。
その後、本尊は信長・秀吉・家康と、時の権力者の手に渡り各地を転々とする。やがて約半世紀の時を経て信州の善光寺に戻されたが、梵鐘は今も甲府に残されているのである。
時は流れ、梵鐘が再び脚光を浴びたのは平成10年(1998)の長野オリンピックのことだった。会場内にあふれる喝采のなか、善光寺の鐘の音がこの大会の幕開けを告げた。境内にはアメリカの放送局のスタジオが設けられ、その体の中に響き渡るような深い鐘の音は世界中に鳴り響いたのである。
善光寺に訪れた際、正時ごとに鳴り響く鐘の音を何気なく聴いていた。350年以上も前に二代目として造られ、それからずっと、そこで当たり前に時を告げていることに歴史の重みを感じる。「一生に一度は善光寺参り」江戸時代に言われたその言葉通り、男女や宗派にこだわらず、常にあらゆる信徒を受け入れてきた庶民の味方・善光寺へ、どうか一度は訪れてほしいものである。