景行天皇の時代、ヤマトタケルの東征の折に発見されたのが別所温泉といわれている。平安時代の中期、清少納言は『枕草子』に「湯は七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯」と記したが、この七久里の湯が別所温泉ではないか、という説もあるという――。

風情のある温泉街の街並み。石湯は夜になっても人が訪れる。

武士文化を感じさせる温泉街の歴史をひもとく

別所という地名は、平維茂が戸隠の鬼女退治に成功した後、現代の別荘にあたる「別業」をこの地に建て「別所」と名付けたのが始まりといわれている。12世紀に入ると木曽義仲が信州平定のために派遣した軍勢により、別所は火を放たれた。たくさんの寺院が灰と化したが、やがて源頼朝や塩田北条氏によって再建されていく。そして「信州の鎌倉」と称されるまで繁栄を遂げた。

平維茂とゆかりがある北向観音。早朝の勤行を見学した。

鎌倉が文士に愛されたように、別所温泉も多くの文人墨客に愛されてきた。川端康成はここで『花のワルツ』を書き、有島武郎は『信濃日記』をしたためた。物語の舞台になることも多く、吉川英治は『新平家物語』で、木曽義仲が愛妾の葵御前と大湯に入浴する場面を描いた。そのため大湯は「葵の湯」と宣伝され、傍らには吉川の文学碑が建つ。

石湯では山梨から訪れた親子と出会った。

そして、池波正太郎もまたそのひとりである。取材のため頻繁に上田市や別所温泉を訪れ、代表作のひとつ『真田太平記』を書いた。この中では、真田幸村が「石湯」に入浴していたという設定となっていて、以後、石湯は真田幸村の隠し湯として有名になったのである。

「大師湯」は天長2年(825)に訪れた慈覚大師円仁が好んだ湯。
未加水、未加温の源泉を浴びることができる。

別所温泉の湯は弱アルカリ性の単純硫黄泉で、肌に優しい。入浴後は顔がツルツルとしているのがわかる。また、良質の湯は飲泉することもでき、ゆで卵のような味わいを楽しめる。街には3つの外湯がある。葵の湯とも呼ばれる「大湯」、真田幸村の隠し湯「石湯」、そして平安時代に慈覚大師円仁が好んで入ったとされる「大師湯」。

3つの外湯はそれぞれ、温度や浴槽の雰囲気が異なり巡るのが楽しい。地元の人々もそれぞれに贔屓があるようで、地域の日常に深く根ざしていることがうかがえる。

高台から別所温泉を望む。落ち着いた街並みだ。

ヤマトタケルの時代から現代に至るまで、様々な歴史の波に巻き込まれ、時に灰と化し、また、かつての栄華を超えるほどの繁栄を迎え、そして今、静かに人々の日常の営みを映している。それが、こんこんと湧き続けてきた別所の温泉なのだ。信州最古の温泉地はこれからも、旅人の訪れを待っている。

文/浅川俊文 写真/古末拓也