マッチ箱の様な汽車でゆく松山の文学名所めぐり
「乗り込んでみるとマッチ箱の様な汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない」
夏目漱石の代表作『坊っちゃん』の一節である。この小説は明治28年(1895)、英語教師として愛媛県松山の中学校に赴任した漱石の実体験が元になっている。ここに登場する「マッチ箱の様な汽車」は、松山市と当時の海の玄関口だった三津港の間を結んでいた、軽便鉄道時代の伊予鉄道のこと。
伊予鉄道は現行の郊外電車と市内線と呼ばれる路面電車を有する鉄道会社へと発展したが、やがて昭和29年(1954)になると蒸気機関車が廃止された。しかし2001年、市内線で機関車も客車も漱石が乗っていた時代のものにそっくりな列車が復活を遂げた。「坊っちゃん列車」である。
わざとサスペンションが効かないようにしたゴツゴツとした乗り心地を味わいながら、“ポッポー”という当時の音色を再現した汽笛とともに、松山の市街地を坊っちゃん列車に乗って駆け抜ける。
坊っちゃん列車に揺られ、木屋町電停を下車し15分ほど歩くと「ロシア人墓地」へたどり着く。日露戦争中、全国には29カ所のロシア人捕虜収容所があったが、最初につくられたのが松山の収容所。日本政府は未開国でないことを世界に知らせるため、戦時捕虜の取り扱いは特に丁寧だったという。この墓地には傷病や輸送中の船内で命を落とした98名のロシア人将兵が、手厚く埋葬されている。
司馬遼太郎の名作『坂の上の雲』は、明治初年から日露戦争までを描いた長編小説で、主人公の3人は松山出身の男だ。その主人公のうちの2人、秋山好古・真之兄弟の生誕地が松山にはあり、そこには好古が晩年暮らした家と二人の銅像が立っている。
そして、松山市駅近くにある「正宗寺」もまた、文学にゆかりのある場所だ。偉大な俳人として知られる正岡子規が生まれ育った街がこの松山。慶応3年(1867)松山藩士の父と、儒者大原観山の長女だった母のもとに生まれ、幼くして父を亡くし家督を継いだ。正宗寺の境内にはそんな正岡子規の生家の一部を再建した「子規堂」があり、子規の勉強部屋など見学できるようになっている。
道後温泉や松山城、伊佐爾波神社、絶景駅で知られる下灘駅など松山市やその周辺には、様々な観光スポットが点在し、そのどれもが魅力的である。今回は「坊っちゃん列車」にちなんで文学にゆかりのあるスポットを歩いたが、次回は愛媛の味覚を堪能する旅を目論んでいる。
文/野田伊豆守 写真/遠藤 純