ニーチェの人生は不幸の連続だった。5歳の時に父が急死し、その翌年に弟が病死。引っ越し、ギムナジウム(中等教育機関)での過酷な学生生活。持ち前の才能で25歳でスイス・バーゼル大学の教授になるが、持病による激しい頭痛などが原因で辞職。親友との決裂。失恋。家族との決別。友人もいない孤独地獄。持病の悪化と、発狂死……。それが、ニーチェの人生だった。

実はポジティブな思考だったニーチェ

壮絶な人生といっても過言ではないニーチェだが、実は最後の最後まで「私は(精神的に)健康だ」「私は幸せだ」「人生は素晴らしい」と、人生を肯定していた。また、人生を謳歌するには恋愛と音楽が必要だとも説いている。音楽は生きる意志をより高めてくれる。恋愛は誰かを愛して振られたとしても、その愛したことの歓喜は永遠だと。

世の中には今も昔も、失恋を苦にして自殺に追い込まれる人がいる。病気もしかり、社会から見放された場合もしかり。そういう類の苦しみをニーチェは全て経験している。しかし彼は、人生に対する賛美を続けた。苦しみの中にも輝く瞬間がある。少しでもその輝きがあれば、それはもう永遠だ。全人生が肯定される、と。

バーゼル大学教授時代のニーチェ。

ニーチェは「何のために生きているかわからない」という人々が、200年後に増加すると予言している。目先の目的は誰にでもある。が、人生全体が何に向かっているのか、なぜ存在しているのか、わからなくなるのだ。

「進学のために勉強し、就職のために進学し、幸福な家庭のために結婚する。生きる目的はある」そう答える人に対して、ニーチェは「だから、それが何なのだ?」と、究極の質問をぶつけてくる。金銭的にも健康的にも人間関係においても、全てが満たされている人が、急に虚しさを感じることがあるという。

発狂後のニーチェと看病する妹エリーザベト。

全てを受け入れた上での肯定

ニーチェの思想はポジティブだ。ただ、いきなり物事を前向きに捉えるのではなく、まず「この世界に意味がない」というニヒリズムを受け入れる。それから「意味がないならそれはそれでよい」と肯定し、「それでも存在しているんだから、この世界は素晴らしいじゃないか」と驚嘆の意を持って現実を受け入れ、さらに「苦しみも込みで人生を愛そうじゃないか」となるのだ。

現実世界の存在を崇敬し、生きていることを賛美する。それも神やら霊魂やらのことは脇に置いておき、目の前の出来事に「すごい!」と賞賛を送る。それこそが、ニーチェが説く“前向き思考”なのである。

文/富増章成