新たな関係を生み出すための行為=諦め

「諦める」という言葉は、ネガティブに聞こえてしまうものだ。例えば自分の人生を左右する面接などで「あなたは諦めやすい方ですか? それとも粘り強く頑張る方?」なんて質問をされたら、大抵の人は「できる限り頑張ります!」と答えるだろう。「諦めてしまいます」などとは口が裂けても答えられない。悪い結果しか想像ができないのだから。

しかし、残念なことに人間は「諦める」を、人生の中でしばしば求められる。そこで参考になるのが、九鬼周造の思想である。九鬼は『「いき」の構造』という著書の中で、「いき」を構成する要素が「媚態」「意気地」「諦め」の三つであると述べている。

「いき」とは江戸時代の美意識のことで、その本質は芸者と客との男女関係にあるといわれている。九鬼があげた三要素のうち「媚態」とは、互いにギリギリまで近づくものの、決して合一することなく一定の距離を置いた関係のこと。「意気地」とは、異性にもたれ掛からない心の強さ、毅然とした態度のこと。そして「諦め」とは、仏教の世界観に基づいた“流転や無常”を前提に“こだわらない”ことをいう。

恋愛関係も含めて、どんな人間関係もやがて解消されていくことに対して、こだわることなく、新たな関係を生み出すことが大切だと言っているのだ。何かにとらわれて執着することは大事だが、その目的のためにプライドを捨てる必要はない。

だから、どうしようもなければ、最後は“諦めて”次の目的に目を向けることが重要なのだ。それこそが九鬼がいう“「いき」な生き方”、“潔い”というわけである。

男でも女でも、潔い人はかっこいい。諦める、ということを前向きな生き方だと思えれば、人生に後悔する必要はなくなるだろう。