「春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎわは すこしあかりて……」

そんな書き出しに始まる『枕草子』を、すべて読んだことがあるという方、いったいどれだけいらっしゃるだろうか。

それでも「夏は夜……」「秋は夕暮れ……」「冬は早朝……」と、ポンポンと出てくる方も結構多いかもしれない。

『枕草子』は平安時代中期の女流作家で歌人の清少納言(せいしょうなごん)が、日常の色々なものを批評したり「いとをかし」といった表現をまじえて綴ったエッセイだ。読んでいると、内容自体は他愛のないものや「意外に現代の女性と、そんなに変わらないのでは?」と思える記述も出てくる。

『枕草子』の原本はすでにないが、後世に写本がいくつも出ていて、そのひとつ「能因系本」に興味深いことが書いてある。それは清少納言が挙げたとする、当時の「温泉ベスト3」だ。

「湯は ななくりの湯 ありまの湯 たまつくりの湯」

わずか一文ではあるが、当時の人々が親しんだであろう、人気の温泉地が3ヵ所だけ挙げられているのだ。

当然ながら「ありまの湯」は有馬温泉(兵庫県)、たまつくりの湯は玉造温泉(島根県)であろう。どちらも歴史ある名湯であり、すぐにピンとくるが、トップの「ななくりの湯」だけは思考が止まってしまう。ななくり……七栗? はて、そんな地名があっただろうか。その響きは、どこか謎めいている。

調べてみると、じつは有力な説が2カ所ある。ひとつが長野県「別所温泉」だ。この温泉街にある北向観音は平安時代の創建。その傍に温泉が湧き出しているため、いつのころからか「七苦離(ななくり)の湯」とも呼ばれていたそうで、それなら当時の平安京にも知られていた可能性はある。

もうひとつが、三重県の榊原(さかきばら)温泉。ここは京都から伊勢神宮への参拝の行き帰りに立ち寄るのにちょうどよく、古くから江戸時代から伊勢神宮の参拝客が湯垢離場をして身体を清めるために利用された。温泉地自体の歴史は、もっとずっと古くて、万葉の時代にさかのぼるのだそうだ。

「一志なる 七くりの湯も 君が為恋しやまずと 聞けばものうし」

という鎌倉時代の恋歌(『夫木和歌抄』)に登場する「一志」(いちし)という地名が今の三重県津市に残っており、その近くに「七栗」の地名もまだあるという。戦国時代に書かれた『国永家集』には「榊原湯治の為に趣き侍りしに」という記述もみられる。

これは、行くしかないだろう。そう思って名古屋から特急とバスを乗り継ぎ、榊原温泉を訪ねた。三重県の津市にある久居駅(近鉄名古屋線)で下車し、榊原温泉行きのバスに乗る。

乗客は観光客らしき者は私一人だけ、あとは地元のご年配の方々ばかりだ。しばらく走ると途中で「七栗局前」というアナウンスが聴こえた。おお、実際に現地で聴く初めての「ななくり」だ。

「七栗郵便局」の前にあったバス停を通過すると、またしばらくして「七栗記念病院」という施設の前を通った。地元の方なら誰もが知ってるような、かなり古くからある大きな病院だ。しかし、後で調べると病院がある町名は七栗ではなく、大島町といい、郵便局があったのも庄田町という名で、七栗は施設の名前としてしか残っていないらしい。ちょっと残念。

バスは貝石山のほうへ入っていき、やがて榊原温泉の手前にある榊原口という停留所に着いた。久居駅からは45分ほどかかった。下車すると、目の前に畑が広がっていて、その向こうに山があって、ぽつりぽつりと民家がある。……なんだか、日本昔ばなしに出てきそうな、のどかな光景だ。

町には温泉宿が5〜6軒と、営業しているかどうかもわからないような、さびれた飲食店が1、2軒ある程度だ。ただ、見た感じでは、建物は複数階建ての温泉宿ばかりが建っていて、私が期待するような、ひなびた温泉旅館はない。

どこも昭和の終わりか、平成の初めあたりに建て替えて大きくしたような、団体客を入れ込むための、ありふれたつくりのホテルだ。町を横切る榊原川や、そのまわりの広々した畑の眺めは素朴で悪くないのだが、こういう田舎町には似つかわしくないような、鉄筋コンクリートの建物の並びには、いささかの残念感を覚えてしまった。

……おっと。温泉街の最も入口近くに「旅館 清少納言」という、そのものズバリな宿をみつけてしまった。有名人の名前をそのままというのは、いささかの不安もないではないが、少々興味を覚えて立ち寄り湯を利用させていただく。入浴料1000円。決して安くはないのだが、予想通りといおうか館内も浴室も、そのへんにあるスーパー銭湯とそんなに変わらない設備であった。

お湯も、循環であった。ただ特徴や泉質については後述するが、その湯ざわりがとても心地よかった。また浴室の入口にかかった暖簾が、それなりの風情を醸し出してもいた。「七栗のゆ」という、この地ならではの文字も。

宿を出るまえに、今一度フロントに立ち寄った。何しろ「旅館 清少納言」と名乗るぐらいだ。何かあるのかと一縷の期待を持って、居あわせた男性従業員に訪ねてみた。だが、特に経営者が清少納言や『枕草子』を好きだから、といったような話は、いっさい聞くことができなかった。というよりも、その従業員が清少納言にまったく無関心のようであった。

ロビーを見ると、「芥川龍之介全集」の初版本が展示されていた。もしや、この宿は芥川ゆかりの……? と興味を持って訊ねてみたが「特に関係ないです」。あとで調べたが、芥川の定宿だったなどの関係もなく、単にお客さんに見てもらうためだけに展示しているだけのようだ。うーん、まあそんなものか

「旅館 清少納言」を出ると、それと道路を挟んですぐ隣に「湯元 榊原館」(日帰り温泉・湯の庄)という宿がある。ここも近代的な造りの大旅館で、外見には何も惹かれるものはなかったのだが、「湯元」という字は魅力的である。なんとなく物足りないので、こちらの浴場にも入ってみることにした。

結論からいえば、まったく入って正解であった。「湯元 榊原館」は温泉街で唯一の自家源泉を所有する宿で、地下から湧き出たばかりの源泉をすぐさま湯船に流している。宿のなかには、そうでなくとも「湯元」を名乗るところもあるが、ここは本当に「湯元」であった。1000円の入浴料も、高いとは思えなかった。

じつは無色透明の源泉は31°C と低い。むしろ、冷たいと感じるのだが、浸かっているうちにじんわり温まってくる。広いほうの湯船は、その源泉がほどよい具合に加温されているので、気持ちよく浸かっていられる。交互に浸かることで血行がよくなり、どんどん温まって身体が癒されていくのが分かった。

地元で“ 美人の湯”と称される源泉は、飲泉も可能なほどピュアな泉質で、湯口にコップを備えてあるのも納得がいった。湯自体は隣の宿と同じなのだが、違いはその鮮度というべきか。なにより湯ざわりがいい。

また、それ以外にも従業員の方のホスピタリティが良い。こちらでは、地元のおばちゃんがフロントにいて、日帰り専門の受付も対応しているため、地元客も多く来ている。ほど良く庶民的で素朴で、その居心地の好いゆるさが建物全体に広がっている。

清少納言の話も聞けるかもしれない。そう思って訊ねてみると、ようこそ聞いてくれましたとばかり、おばちゃんは嬉しそうに話してくれた。

かつての「ななくりの湯」と呼ばれた温泉地が「榊原温泉」に変わったのは、この一帯に自生する榊が伊勢神宮の祭祀に使われ、いつしか「榊が原」と呼ばれるようになったからという。仁木(につき)義長の9代の後裔・清長が、伊勢国一志郡榊原村(現在の三重県津市榊原町)に移住し、この地名をとって榊原を号したことで、榊原氏が生まれたそうだ。

「だから、今でも“ 七栗” の湯って呼ぶ人もいますよ」と、おばちゃん。館内には源泉神社もあった。ここの人が源泉をいかに大切にし、その恵みに感謝しているかが感じられた。

脱衣所に貼られた成分表の源泉名にも「七栗の湯」という表記が確かにあった。『枕草子』の「ななくりの湯」は、もうこれに違いないと思いこむことにした。いや、はるばる東京から足を運んだ甲斐があったというものだ。

町内の橋の手すりに、清少納言の絵が刻み込まれている。宿の少し上流の川沿いにある射山神社で「ななくりの湯」の旧源泉跡を見つけた。昔はそこから湯が湧いて、地元の人々の心身を癒したのだろうか。

『枕草子』を書いた清少納言だが、彼女の足取りは、主人である皇后・中宮定子が亡くなった後、宮仕えをやめて京都郊外に暮らしたという以外、ほぼ分からなくなる。彼女が実際に「ななくりの湯」へ入りにきたのかどうか、それも本当なのかは分からない。

確証はないけれども、宮仕えのストレスから解放された彼女が、ななくりの湯殿でくつろいでいる様子が、ここに居るとまぶたの裏に浮かんでくるような気がした。

温泉街の近くにある圓浄寺を訪ねた。その墓地のなかに、なんと清少納言の供養塔を見つけた。さほど古いものではないので、新しく造られたことは明らかだ。しかし、地元の人々の彼女に対する思慕の念が、この供養塔に込められている、そう思えてならず、しばし佇んでから静かに合掌した。

日帰り温泉・湯の庄 http://www.yuno-sho.jp/
近鉄「榊原温泉口駅」より無料送迎バス(要予約)あり

【文・写真/上永哲矢】
歴史著述家・紀行作家/温泉随筆家。神奈川県出身。日本全国および中国や台湾各地の史跡取材を精力的に行ない、各種雑誌・ウェブに連載を持つ。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)など。