21984江戸の庶民のテーマパーク!? 手軽に行ける富士山!? ウィズコロナのお散歩に「東京の富士塚」13選

江戸の庶民のテーマパーク!? 手軽に行ける富士山!? ウィズコロナのお散歩に「東京の富士塚」13選

男の隠れ家編集部
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神社の境内にごつごつした岩山を見たことはないだろうか。富士山を模して造られてきた「富士塚」である。2分で登れて御利益もあるミニ富士は、江戸の庶民にとっての身近なテーマパークだった。
目次

富士塚ってなに?

富士塚とは文字通り、富士山を模した塚だ。そのベースには富士浅間信仰というものがある。

富士山は古代から霊山として崇められてきた。木花咲耶姫(浅間大神)を祭神とする浅間神社が創建され、やがて役小角を皮切りに多くの行者が富士山を修行の場とした。

江戸時代には庶民の間でも富士山への憧れが高まる。だが、苛酷な登拝は誰もができることではない。そこで実際に登拝したと同様の御利益があるとされるミニチュア版を造ったわけだ。毎年の山開きの日には露店も立ち並び、老若男女が列をなして塚を登った。

「名所江戸百景 目黒新富士」。文政2年(1819)に幕臣の近藤重蔵が邸内に築いた富士塚。元富士と並ぶ目黒の名所だった。麓には茶店が開かれ、花見をする人の姿も見える。昭和34年(1959)まで残っていた。

富士塚は江戸を中心に数多く築かれた。築造は昭和前期まで続き、近隣各県を含めるとその数は200基を下らない。今に残る代表的な7カ所は「江戸七富士」と呼ばれている。

江戸七富士

品川富士(品川神社)
千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社)
下谷坂本富士(小野照崎神社)重要有形民俗文化財
江古田富士(茅原浅間神社)重要有形民俗文化財
十条富士(富士神社)
音羽富士(護国寺)
高松富士(富士浅間神社)重要有形民俗文化財

そもそも誰が造った?

富士塚が広まったのは「富士講」の流行による。これは「伊勢講」「大山講」などと同様、参詣の旅の互助会的組織だ。資金を出し合い、数人が代表として出かけていく。

日本三奇祭「吉田の火祭」も富士講の信仰が深く関わっている。

富士講集団の教祖的存在である食行身禄の没後、安永8年(1779)に弟子のひとりだった高田藤四郎が、現在の早稲田大学構内に「富士山の御写し」を築造した。これはたちまち名所として大賑わいを見せるようになり、以後、江戸の随所に富士講徒により富士塚が築かれていった。

ディテールにも注目したい

富士塚はその大きさはまちまちでも、富士山らしさは必須要件だ。だから本物と同様のディテールが様々に組み込まれている。まず表面には富士山の溶岩を配置し、奥宮を据えた頂上にも富士山から持ってきた土を置く(現在はどちらも運び出せない)。

千駄ヶ谷富士に掲げられている富士塚図。富士山の名所が正しく配置されているのがよくわかる。

登山道には〝●合目〟と彫られた合目碑を建て、烏帽子岩や胎内、大沢崩れ、釈迦の割れ石、太郎坊といった名所や象徴も配置した。

奥宮
富士宮口から登りつめた山頂に建つ、富士山本宮浅間神社の奥宮を表す。たいてい小さな祠が置かれているが、浅間大神と彫られた石碑だけのこともある。

猿像
吉田口から入山すると石鳥居の前に合掌する猿の像がある。庚申の年に富士山が隆起した伝説から、猿はお使い神とされた。富士塚でも登山道入り口に配置。

天狗像
富士山五合目付近は「天狗の庭」と呼ばれ、天狗が支配するエリアとされた。富士山太郎坊が山の南側、小御嶽正真坊が北側を守護するといわれている。

胎内
溶岩が樹木を覆ったことでできた洞窟。富士講徒は登拝前に御胎内巡りをして身を清めた。塚の山裾にごく浅い洞窟のようなものがあれば、それが胎内だ。

烏帽子岩
食行身禄は烏帽子岩にある岩窟で31日間の断食瞑想後に入定した。八合目には今も巨岩が残り、烏帽子岩神社も祀られている。塚では大きめの石で表現。

講碑
富士講の講名などを刻んだ板碑。富士山登拝の記念として奉納されることが多い。「講元」「先達」「世話人」など講の幹部の名前が記されている場合もある。

江戸の富士塚に登拝に行こう

都内には今も60カ所余りの富士塚が現存する。毎年夏の山開きの時だけ登拝できるもの、保存のため立ち入りを禁じているものなどもあるが、いつでも自由に登れる富士塚も多い。

たいていの富士塚は、大きくても高さ10mほど。ものの2~3分もあれば頂上に着く。しかしミニチュアとはいえひとつの聖域だ。敬虔な修行の心で足を踏み入れたい。

千駄ヶ谷富士では、鳩森八幡神社の社務所で登山記念の御朱印も授与している。

神社境内にある場合は本殿に参拝してから塚の鳥居をくぐろう。登山道を守り、一合目、二合目と意識しながら歩くのがいい。

祠や石碑などが続々と眼前に現れる小山は、江戸庶民にとってまさに小さなテーマパークのようだったろう。一つひとつ手を合わせれば、御利益も一層増すというものだ。頂上の奥宮で拝んだら、下山道を降りて、ミニ富士巡礼の完了となる。

ここに紹介したほか、富士塚は各所にひっそりと佇んでいる。神社境内に怪しい築山を見たら、まずは確認してみることをお勧めする。

地域に開かれたご近所富士「千駄ヶ谷富士」

鳩森八幡神社の境内にゆったりと鎮座する気持ちのいい富士塚だ。近隣の人も散歩がてらに気軽に登っている。寛政元年(1789)の築造とされ、都内に現存するものでは最古。金明水、烏帽子岩などの表示もわかりやすい。

東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24
TEL:03-3401-1284(鳩森八幡神社)
登拝:可
アクセス:JR総武線「千駄ヶ谷駅」より徒歩5分

都内最大の高さを誇る「品川富士」

都内では最大の高さ15m超の富士塚。東京十社のひとつ品川神社の鳥居をくぐり、参道石段の途中に登山道入り口がある。五合目まではゆったりとした石段だが、その後は鎖を頼りに登る急斜面。山頂からの眺めがいい。

東京都品川区北品川3-7-15
TEL:03-3474-5575(品川神社) 
登拝:可
アクセス:京浜急行「新馬場駅」より徒歩1分

溶岩に覆われた美しい円錐形「下谷坂本富士」

小野篁(たかむら)を主祭神とする小野照崎神社にある。文政11年(1828)の築造とされ、往時の姿をよく残していることから国の重文に指定されている。高さは6m。毎年6月30日と7月1日のお山開きの日に登拝できる。

東京都台東区下谷2-13-14
TEL:03-3872-5514(小野照崎神社)
登拝:6月30日、7月1日
アクセス:東京メトロ「入谷駅」より徒歩3分

登拝のチャンスは年に3回「江古田富士」

天保10年(1839)の築造とされるが、もともと富士山に似た形の小山があったようだ。江古田浅間神社の社殿の真後ろに位置し、この神社自体が富士信仰の場だとわかる。ここも国の重文。年に3回のみ開山される。

東京都練馬区小竹町1-59
登拝:1月1~3日、7月1日、9月第2土日
アクセス:西武鉄道「江古田駅」よりすぐ

地元に愛される“おふじさん”「十条富士」

塚そのものが木花咲耶姫を祀る十条富士神社。地元では「おふじさん」の名で親しまれる富士塚。元は古墳だったとされる。2007年の修復により、頂上まで一直線の石段ができた。山開きの日は盛大な祭が催される。

東京都北区中十条2-14
TEL:03-5390-1234(北区地域振興部観光振興担当)
登拝:可
アクセス:JR京浜東北線「東十条駅」より徒歩2分

護国寺の境内に佇む富士塚「音羽富士」

護国寺の壮麗な仁王門の内、本殿に向かう石段の下右側にある。入り口の富士道の石碑や石橋が珍しい。登山道はゆったりと塚を巻く九十九折れ。石像はなく、天狗なども石碑に彫ってあるためか、すっきりした山容だ。

東京都文京区大塚5-40-1
TEL:03-3941-0764(護国寺)
登拝:可
アクセス:東京メトロ「護国寺駅」よりすぐ

充実の石造物群は一見の価値「高松富士」

住宅街の児童公園内にあり、見つけるのはなかなか困難。普段は入れないが、フェンス越しに約50基もの充実した石造物が見える。「豊島長崎の富士塚」として国の重文に指定。2014年からは山開きの一般登拝が始まった。

東京都豊島区高松2-9-3
TEL:03-3981-5849(豊島区観光協会)
登拝:特定日
アクセス:東京メトロ「要町駅」より徒歩10分

小さな2つの塚に分割「西大久保富士」

稲荷鬼王神社の裏側入り口付近にある。以前は全国の銘石で組んだ大きなものだったが、第二次大戦中に地盤が緩み、低い2つの塚に分けた。登ることはできず、塚の間の参道を通れば登拝したことになるそうだ。

東京都新宿区歌舞伎町2-17-5
TEL:03-3200-2904(稲荷鬼王神社)
登拝:不可
アクセス:東京メトロ「東新宿駅」より徒歩2分

台地の斜面を使って造られた「東大久保富士」

天神山と呼ばれる台地にある西向天神社境内。山頂には「日之尊」と彫られた石碑が立つ。天保13年(1842)の建造。明治時代に撤去されたが、大正14年(1925)に再建した。フェンスに囲まれ、立ち入りはできない。

東京都新宿区新宿6-21-1
TEL:03-5273-4126(新宿区文化観光課)
登拝:不可
アクセス:東京メトロ「東新宿駅」より徒歩6分

ここなら芸能の御利益もある「新宿富士」

花園神社にある芸能浅間神社境内にある。別名・三光町富士。昔は高さ8mあったそうだが、社殿改修に伴い現在の場所に移った。高さは1.5mほど。鳥居をくぐりお賽銭箱後ろの階段から登拝できる。藤圭子の歌碑も立つ。

東京都新宿区新宿5-17-3
TEL:03-3209-5265(花園神社)
登拝:可
アクセス:東京メトロ「新宿三丁目駅」よりすぐ

富士講が建てた富士塚より古い「駒込富士」

富士塚の上に駒込富士神社の社殿がある。もともとは現在の東京大学の敷地内の塚に富士浅間を祀り、やがて現在地の古墳に遷したという。富士講が関わる前から存在する富士塚。神域らしい大樹も数多くそびえている。

東京都文京区本駒込5-7-20
登拝:可
アクセス:JR山手線「駒込駅」より徒歩12分

溶岩塊のような山容が魅力「鐵砲洲富士」

鐵砲洲稲荷神社境内の西北奥にある。江戸時代には海の際にあった神社が、明治以後数度移転し、そのたびに富士塚も遷された。サイズは築造時の3分の1ほどになっているが、溶岩に覆われた険しい山肌は登攀心を促す。

東京都中央区湊1-6-7
TEL:03-3551-2647(鐵砲洲稲荷神社)
登拝:可
アクセス:東京メトロ「八丁堀駅」より徒歩5分

数度の移転を経て保つ風格「砂町富士」

富賀岡八幡宮の本殿裏、赤い鳥居の浅間神社脇にある溶岩の小山だ。大きな講碑がいくつも立ち、頂上に奥宮はなく、大日如来の碑が富士山の方角に向けて据えられている。小御嶽神社の祠や胎内、大沢崩れの痕跡もある。

東京都江東区南砂7-14-18
TEL:03-3957-6662(浅間神社)
登拝:不可
アクセス:東京メトロ「南砂町駅」より徒歩10分

※2016年取材

文/秋川ゆか

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