ファン・ゴッホはいかにして画家になったのか?

ファン・ゴッホが画家として活動し始めたのは27歳と遅く、37歳で亡くなるまでのわずか10年で信じ難いほど多くの作品を描いた。画家になる前は画商、書店員、伝道師を経験しており、美術学校で専門的な技術を学んだことはない。では、「画家ファン・ゴッホ」は一体どのようにして生まれたのか?

本展は、初期のファン・ゴッホに描くことの基礎を教えたハーグ派、そして才能を開花させる一助となった印象派という2つの出会いに焦点を当て、いかに独自の画風にたどり着いたのかを掘り下げて紹介する。

糸杉(いとすぎ)

フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年6月 油彩/カンヴァス 93.4×74.0cm メトロポリタン美術館蔵

Image copyright © The Metropolitan Museum of Art
Image source : Art Resource, NY

サン=レミの精神療養院に入院した直後の作品。ファン・ゴッホは糸杉の均整のとれた形状や緑色の素晴らしさに魅了され、「向日葵の絵のようになんとかものにしたい」と手紙の中で述べている。地面に近い部分は鉛白を用いて盛り上げられた。

世界10カ国・地域、27カ所から日本初公開作品を含む約40点のファン・ゴッホ作品が集結する。なかでも晩年の重要なモチーフであり、彼の代名詞的作品でもある《糸杉》《薔薇》《麦畑》などの傑作は見逃せない。このほか、ファン・ゴッホと親交のあったハーグ派や印象派の画家たちの貴重な作品約30点も展示。ファン・ゴッホの言葉に注目しながら、多数の代表作が生まれた背景と画家の生き様を浮き彫りにする。

薔薇(ばら)

フィンセント・ファン・ゴッホ 1890年5月 油彩/カンヴァス 71.0×90.0cm ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

© National Gallery of Art, Washington
Gift of Pamela Harriman in memory of W. Averell Harriman

サン=レミの精神療養院を退院する直前に描かれた本作は、ファン・ゴッホが手がけた静物画の中でも最も美しい作品の一つと称される。生命の象徴として描かれた薔薇は、回復を喜ぶかのように咲き誇っている。

画家ファン・ゴッホの土台が築かれたハーグ時代

当初、ファン・ゴッホは聖職者になることを目指していた。しかし過剰な熱意と常軌を逸した言動で周囲を困らせ、最終的に伝道師の資格を停止されたため、今度は絵を通じて人々に寄り添うことを決意する。

画廊に勤務していた時に絵の知識を身につけてはいたが、実際に描くとなると技術不足を痛感せざるを得なかった。そこでファン・ゴッホは《種まく人》を描いたミレーなど過去の巨匠の作品を模写し、専門書を読み、独学で絵を描いていく。そしてこの頃の彼に決定的な影響を与えたのが、19世紀後半にオランダのハーグで活動したハーグ派だった。

農婦の頭部

フィンセント・ファン・ゴッホ 1885年 油彩/カンヴァス 46.4×35.3cm  スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵

© National Galleries of Scotland, photography by A Reeve

《ジャガイモを食べる人々》を描くため、ファン・ゴッホはひと冬をかけて人々の頭部や室内の様子を何度も描いて練習した。本作はその一つで近所に住む農民一家の娘がモデル。実際に薄暗い室内でランプの光を頼りに描かれている。

ハーグ派は17世紀のレンブラントから続く写実主義の流れに属し、豊かな自然の中で素朴に暮らす人々を詩情豊かに描き出した。それゆえ「オランダのバルビゾン派」とも呼ばれる。幸いファン・ゴッホは親戚の画家でハーグ派を代表するアントン・マウフェから絵の基礎を教わった。ハーグ派のほかの画家たちとも交流し、人物や風景を直接見て描くこと、労働に励む農民たちの姿を真摯にとらえる姿勢を学び、画家としての土台を築いていったのである。

ジャガイモを食べる人々

フィンセント・ファン・ゴッホ 1885年4-5月 インク/紙(リトグラフ) 26.4×32.1cm ハーグ美術館蔵

© Kunstmuseum Den Haag

わずかな光の下で慎ましい食事を取る人々。ファン・ゴッホは油彩画《ジャガイモを食べる人々》の出来栄えに自信を持ち、リトグラフを作って家族や友人に送った。本展はそのうちの一枚を紹介。

画家を志して約4年半が経った頃、ファン・ゴッホは初の油彩画であり初期を代表する大作《ジャガイモを食べる人々》を完成させた。

器と洋梨のある静物

フィンセント・ファン・ゴッホ 1885年 油彩/カンヴァス 33.5×43.5cm ユトレヒト中央美術館蔵

© Centraal Museum, Utrecht/Ernst Moritz

1883年末から2年ほど滞在したニューネンで描かれた一枚。画面は非常に暗いが器にかすかな光が当たり、無造作に置かれた洋梨が浮かび上がる。確かな構成力と大地の恵みを思わせる果物の存在感に努力の成果が表れている。

印象派の手法を吸収し、作品が劇的に変化

1886年2月、ファン・ゴッホは画商の弟テオを頼って突然パリにやって来た。印象派の画家たちとの交流を通じてファン・ゴッホの絵に変化が現れるが、本展では大きな影響を与えた人物としてアドルフ・モンティセリにも注目。ドラクロワの絵を敬愛していた彼は輝くような色彩や奔放な筆さばきを特徴とした。後のファン・ゴッホの作品に見られる絵具の厚塗りは、実はモンティセリの影響と考えられている。

オリーヴを摘む人々

フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年12月 油彩/カンヴァス 73.3×92.2cm   クレラー=ミュラー美術館蔵 

© Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands

精神を病み、サン=レミの療養院に入院していた頃、オリーヴはファン・ゴッホの主要なモティーフの一つとなった。オリーヴ畑とそこで働く人々は複数枚制作され、そのうちの一枚が画家の母親と妹に贈られた。

1887年に入り、灰色や茶色を基調とした写実的な作風から一転、ファン・ゴッホは原色を対比させた明るい色遣いと、筆触の跡を残すという印象派の手法をものにし、作品が劇的に変化する。さらに翌年移住した南仏アルルの風景に魅了され、色彩と筆遣いはより大胆になり、独自の画風を築き上げていった。

麦畑

フィンセント・ファン・ゴッホ 1888年6月 油彩/カンヴァス 50.0×61.0cm P. & N. デ・ブール財団蔵

© P. & N. de Boer Foundation

目の覚めるような黄色い麦畑が画面いっぱいに広がるアルルの風景。空の水色と薄い紫色との対比も非常に美しい。ファン・ゴッホは同時期に小麦畑の油彩画を少なくとも10点描いた。彼はセザンヌが描いた南仏の麦畑を以前に見ており、本作の制作中もテオに宛てた手紙でそのことにふれている。

【展覧会情報】
ゴッホ展 
会期/10月11日(金)~2020年1月13日(月・祝)
会場/上野の森美術館
住所/東京都台東区上野公園1-2
電話/03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間/9時30分~17時(金・土は~20時、入場は閉館の30分前まで)
休館日/12月31日(火)、1月1日(水・祝)
観覧料/一般1800円ほか
アクセス/JR「上野駅」公園口より徒歩約3分
URL/go-go-gogh.jp
巡回展/兵庫県立美術館:2020年1月25日(土)~3月29日(日)