独自の画境に生きた 静かなる北欧画壇の雄

灰色を基調とした極度に抑えられた色調と、装飾を廃した簡素な室内、そして表情や感情を読み取ることができない後ろ姿の人物──。まるで時が止まったかのような絵画世界を確立し、生涯それを変えることがなかったデンマークを代表する画家ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864~1916)。2008年の回顧展以来、11年ぶりとなる本展では17世紀オランダ風俗画の影響が認められることから“北欧のフェルメール”とも評される画家の秀作約40点が、クレステン・クプゲ、ピーダ・イルステズら19世紀のデンマーク画家が残した名画と共に展示される。

ピアノを弾く妻イーダのいる室内

ヴィルヘルム・ハマスホイ 1910年 油彩/カンヴァス 76.0×61.5cm 国立西洋美術館蔵 ※東京展のみ

1910年から3年間ハマスホイが住んだプレズゲーゼ25番地で描かれた1枚。ハマスホイが自身の室内画のスタイルを確立して10年ほど経った頃の作品で、構図や描き方などの全てに脂が乗った時期の傑作だ。

「ハマスホイの絵画には、手つかずの自然や外界に対する憧れは見られません。全400点ほどある作品のおよそ3分の1が、コペンハーゲンで妻と二人で暮らした部屋の中を描いた室内画です。そして、それらは写実ではなく、また抽象でもない。家具の配置は不自然で、ある絵ではあるはずのドアノブが描かれていなかったり、食卓の脚の影の方向がバラバラだったりする。ハマスホイにとっての室内画は、現実でも理想の空間でもなく、あくまでも“絵画的な線と構図、色彩の調和”であり、そのなかに潜む充足のようなものだったのではないでしょうか。非常に近代的な画家だと思います」北欧近代美術を研究する山口県立美術館学芸員の萬屋健司さんは、ハマスホイについてそう語る。

ハマスホイが生きた19世紀末~20世紀初頭のデンマーク画壇は、保守的なアカデミズムが主流だった。ハマスホイの絵はそんな国内画壇にセンセーションを巻き起こした(多くは否定的なものだった)が、海外では1911年にローマの国際美術展でクリムトと共に金賞を受賞するなど、高い評価を得る。

農場の家屋、レスネス

ヴィルヘルム・ハマスホイ 1900年 油彩/カンヴァス 53.0×62.0cm デーヴィズ・コレクション蔵

The David Collection, Copenhagen
日本では初公開となる作品で、シェラン島北西部の大きな農家が描かれている。だが、周囲に置かれていたはずの民具は省略され、人の気配も生活感もない。明るく美しい色調と相まって、不思議な浮遊感が漂う一枚だ。

寡黙で繊細、静かなる画家 ヴィルヘルム・ハマスホイ

コペンハーゲンで商人を父に、資産家の娘を母として生まれたヴィルヘルム・ハマスホイ。8歳の頃から素描のレッスンを受けるようになり、15歳でデンマーク王立美術アカデミーに入学する。同時にアカデミーの古い価値観に反対した学生たちが設立した「自由研究学校」にも通い絵を学んだ。

21歳でアカデミー主催の展覧会に初出品した《若い女性の肖像、画家の妹 アナ・ハマスホイ》が賞レースに漏れ、これに反発した若手の画家たちとアカデミーとの論争をきっかけにハマスホイの名が知られることになる。27歳で学友ピーダ・イルステズの妹イーダと結婚し、以後、亡くなるまでコペンハーゲンで暮らした。

内省的で口数少なく、静けさを愛した画家は1914年に咽喉癌を患い、1916年に病没。最後に描いていた作品も当時暮らしていたストランゲーゼ25番地の室内だったという。

画家と妻の肖像、パリ

ヴィルヘルム・ハマスホイ 1892年 油彩/カンヴァス 36.5×65.0cm デーヴィズ・コレクション蔵

The David Collection,Copenhagen

物語性を完全に廃した 先鋭的な絵画表現

「1930年代以降、ハマスホイの絵は“古いもの”として忘れられていましたが、80年代から再評価が始まります。90年代以降はオルセーやグッゲンハイム、ロンドンのロイヤル・アカデミーなどで回顧展が開催されました。今回は本邦初の展示となる同時代のデンマーク絵画約50点も同時に展示することで、よりその特異性について、理解を深めていただけるのではと思います」

萬屋さんの言葉がよくわかるのが、同時代の画家とハマスホイの作品との対比だ。例えば19世紀末のコペンハーゲンで流行した、室内画を見てみよう。

「下の2点は、共に室内の女性を描いています。ピーダ・イルステズは妻イーダの兄で、ハマスホイとも交流が深かった人ですが、絵は全く違います。ピーダの作品は、女の子がピアノの演奏という具体的な行動をしていて、室内装飾も細かく描き込まれています。一方、ハマスホイの描く女性は何もしていない。窓の外を眺めているだけで、室内の装飾描写もかなり省略されています。似たようなテーマでも、結果的に全く異なる作品になっています」

ピアノに向かう少女

ピーダ・イルステズ 1897年 油彩/カンヴァス 59.2×54.6㎝ アーロス・オーフース美術館蔵

ARoS Aarhus Kunstmuseum/ ©️ Photo: Ole Hein Pederson
明るい日差しが差す部屋で、ピアノに向かう少女。窓の外には瑞々しい緑の陰が映り、室内は光に満ちている。モデルはイルステズの娘だろう。ハマスホイの作品には見られない、家庭的な温かみが漂う作品。

寝室

ヴィルヘルム・ハマスホイ 1896年 油彩/カンヴァス 56.5×46.2㎝ ユーテボリ美術館蔵

Gothenburg Museum of Art, Sweden ©️ Photo: Hossein Sehatlou
ぼやけた家具の輪郭や物語性を失って佇む女性、抑えられた色彩──。初期の室内画ながら以降一貫して変わらないハマスホイの特徴が良く表れた作品。微妙な光の描写に、オランダ絵画から受けた影響が垣間見える。

慎ましやかな家庭の情景を描く室内画は当時の流行で、多くの画家が描いた。ハマスホイが暮らし、最も多くの作品を描いたコペンハーゲン市内ストランゲーゼ30番地の家の写真を見ると、実際には花瓶に花が飾られ、壁には絵も掛けられている。だが、それらは意図的に描かれない。

「ハマスホイが画面をどこで切り取るかを最後まで調整していたことが、絵の後ろに折り込まれたカンヴァスにも彩色されているのを見るとよくわかります。“絵画”というメディアに持ち込める要素、線と色調について考察し続け、その理想を追い求めていたのではないでしょうか」

絵画的要素を追求した 風景画と室内画の世界

室内-開いた扉、ストランゲーゼ30番地

ヴィルヘルム・ハマスホイ 1905年 油彩/カンヴァス 52.0×60.0㎝ デーヴィズ・コレクション蔵

The David Collection, Copenhagen
ストランゲーゼ30番地の食堂から続く部屋を描いた作品。人物さえ排除された画面には、扉と壁、窓の直線が作り出す奥行きのある空間と、奥の窓から差し込む光だけが描かれている。

きよしこの夜

ヴィゴ・ヨハンスン 1891年 油彩/カンヴァス 127.2×158.5㎝ ヒアシュプロング・コレクション蔵

©️ The Hirschsprung Collection
ヴィゴ・ヨハンスンはスケーイン派の画家の一人として知られている。冬が長い北欧の暮らしや、そのなかにある家族の幸福を描いた作品も多い。

「上段の2点はその差がより顕著でしょう。ヴィゴ・ヨハンスンの絵は家庭の幸福の象徴のようなクリスマスの室内風景です。馴染みのある空間でくつろぐ家族や友人たちを描く室内画はこの頃、多く描かれましたが、ハマスホイは純粋に空間だけを描いている。モチーフは家具調度を排除した壁、窓、扉といった構造物です。染みのついた床だけが人の気配を感じさせる、美しく不思議な一枚です」と、萬屋さん。

ライラの風景

ヴィルヘルム・ハマスホイ 1905年 油彩/カンヴァス 41.0×68.0㎝ スウェーデン国立美術館蔵

Nationalmuseum, Stockholm/Photo:Erik Cornelius
コペンハーゲンを出ることが多くなかったハマスホイとしては珍しい、郊外の田園風景を描いた作品。シェラン島・ライラの平原に続く畑とその向こうの防風林、雲が積み重なる構図と青い色彩が美しい秀作だ。

カステレズ北門の眺め

クレステン・クプゲ 1833-34年頃 油彩/紙 23.6×32.0㎝ ヒアシュプロング・コレクション蔵

©️ The Hirschsprung Collection
デンマークを代表する肖像画・風景画家のクレステン・クプゲ。1848年に38歳の若さで亡くなっており、ハマスホイの一世代前に活躍した画家の一人。

こうしたハマスホイ独自の絵画表現は、数は少ないものの肖像画や風景画にも表れているという。

「風景も同様で、手つかずの自然を、ハマスホイは描かない。彼が描くのは開拓地といった近代社会の匂いを感じさせる風景です。《ライラの風景》もそんな一枚。麦畑と防風林を描いた明るく開放的な画面ではありますが、人影はなく、単純化されたモティーフの配置によって構成された画面の美しさが際立っています」

 初期の肖像画から、風景画、室内画へと表現は多様化し、絵具の重ね方も微妙に変化しているという。だが、絵画に漂う静けさは変わらない。見る者に美しさと心地良い静けさを感じさせる独特の世界を、ぜひ味わってほしい。

【展覧会情報】
ハマスホイとデンマーク絵画 
会期/1月21日(火)~3月26日(木)
会場/東京都美術館
住所/東京都台東区上野公園8-36
電話/03-5777-8600(ハローダイヤル)
開室時間/9時30分~17時30分(金、2/19、3/18は~20時。入室は閉室の30分前まで)
休室日/月(2/24、3/23は開室)、2/25(火)
観覧料/一般1300円ほか
アクセス/JR「上野駅」公園口より徒歩7分
URL/artexhibition.jp/denmark2020/
巡回展/山口県立美術館:2020年4月7日(火)~6月7日(日)