2016年の春、初めて中国・北京を訪れた。過去、何度も中国を訪問しているが、上海を経由したり、目的地へ直行便で訪れたりで、北京に直接降り立ったのは初めてのことだ。

一度は生で見ておきたい、長城の風景

その第一目的は「万里の長城」。世界遺産である。なんというか、あまりにベタな、定番すぎる観光地じゃないか…といわれそうだが。

人間、一生に一度は「生で見ておきたい風景」というものが、誰しもいくつかあるだろう。私にとって万里の長城は間違いなくそのひとつ。遅ればせながら、やっと行くことができた。

旅行当日の午前10時すぎ、北京国際空港に着いた。ここで通訳兼ドライバーのRさんと待ち合わせておいたので、ゲートの外で待っていてくれた。Rさんはネットで見つけた「北京散歩」という現地の会社の人で、やさしそうな兄ちゃんだったので安心する。

なにしろ海外旅行では、大荷物を持って空港から市街地へ移動するのに、バスや鉄道などに乗ると、その時点でかなりの労力をつかう。それが嫌で空港から車をチャーターしておいたのだ。

いったん市街で荷物を下ろすより、直接目的地(長城)へ向かってしまったほうが手っ取り早い。料金は車1台を8時間以内は乗り放題で、距離によって変わるが1200~1500元だった。だいたい2万円ちょい。

なかなかリッチだが、通訳にもなってくれるし、日本でタクシーを借りきるのに比べたら安い。それに中国は飲食費や宿泊代も安めだから、そのぶんを他に回せるのだ。

迎えに来てくれた車にトランクを積み、さっそく長城へ向かってもらった。書くまでもないが「万里の長城」は全長8,800km以上という、とてつもない長さの城壁だ。よって、すんなりと「ハイ、ここが長城です」というわけにはいかない。

「長城に行きたい」といえば「長城のどこですか?」と間違いなく聞かれる。実際、Rさんに聞かれた。長大な城壁のなか、一般に開放・整備されているいくつかのスポットがあり、それ以外は危険なので立入禁止なのだ。

そのスポットというのが北京周辺では、
・八達嶺(はったつれい)
・慕田峪(ぼでんよく)
・司馬台(しばだい)
・金山嶺(きんざんれい)と、4ヵ所ある。このなかでもっとも有名なのが八達嶺。北京市街や空港からも比較的近く、連日多くの観光客や団体ツアー客が押し寄せると聞く。

私としては、できるだけ人の少ない場所がいい。そこで、この中では比較的レアであまり補修もされていない、その代わり少し遠い「司馬台」を選んだ。

歩いて歩いて、登って。やっと長城の入口へ

空港から車で2時間ほどで、司馬台長城の麓にある「古北水鎮」という場所に到着。古い町並みを再現した、いわば日光江戸村みたいなテーマパークだ。

ここに車を止め、40元の入場料を払ったうえで、公園内を20分ばかり歩いて長城の登り口まで行かねばならない。とにかく中国は広い。有名な観光地ともなると、その敷地も膨大。それに大勢の客が来るので、こういう待合場所をつくらないと大変なことになるのだろう。もちろん、その中に飲食店や土産物店があり、お金を落とさせる仕組みにもなっている。

Rさんとは駐車場でいったんお別れ。だいぶ歩いて、ひとりでロープウェイ乗り場まできた。途中で、長城へつながる遊歩道の入口を見つけたのだが、地図を見ると長城までえらく遠い。

30~40分の山道に見えたので、おとなしくロープウェイという文明の利器を頼ることにした。往復160元(約3000円弱)、やや高い気もするが、やむを得まい。

さっそく乗り込んだ。標高1000m超の山のうえを、スイスイと行くロープウェイ。みるみる高みに登り、今いた古北水鎮の眺めが小さくなっていく。10分足らずで索道駅という山上の駅に着き、そこで降りる。

山肌にレンガの階段があり、はるか頭上に、めざす長城の城壁が見える。また15分ほど歩かなくてはいけない。文明の利器といえども、長城の目の前に連れていってはくれない。それほど険しいところに長城はそびえているのだ。

階段の山道を汗だくで登り「司馬台長城」の城壁に足を踏み入れた。ようやく平らなところに出たようだ。ゼイゼイ、切れた息を整えながら、いま自分が長城の城壁上に立っていることを知る。

すごい。そのまた遥か頭上に、石造りの櫓(のろし台)が見える。その櫓からレンガの階段がずーっと長く延びてきている。長城には平らな部分はごく少なく、山肌に沿って登ったり降りたりを繰り返しているのだ。

もし突風が吹いたら…。恐怖と隣り合わせの絶景

「このうえ、まだ登るのか…」

息切れが完全に止まないまま、少しずつ登っていった。それにしても、怖い…。城壁の幅は2mちょっと。向かいから歩いて来る人と、一応はすれ違えるぐらいのスペースしかない。

手すりなどなく、うかつに身を乗り出したら落ちてしまいそうだ。もし、突風でも吹いたりしたらと思うと…。これは高所恐怖症の人にはまず耐えられないだろう。

もし日本にこういう場所があれば、手すりとか金網が備えられるのかもしれない。そもそも観光地として公開しないかもしれない。

実際、この「司馬台」は、別名を「死場台」と呼ばれているほど、長城のなかでも険しいところなのだ。立入り禁止の場所に入り、行方不明になったり、落ちて亡くなったりする人が、昔から後を絶たないのだそうだ。えらいところに来てしまった。

しかし、それだけに眺望は筆舌に尽くしがたい。遮るものが一切ないかわりに、眼下には山肌の岩や生い茂った木々があるばかり。遠くに目をやれば、どこまでも続く山々、その中に長城が蛇行しながら一筋に延びている。いったい、果てはあるのだろうか…と思えるほどの長大さだ。

足元に目をやれば、自分が今歩いている長城の床面がある。長城の原型が造られたのは今から実に2000年以上も前の春秋時代で、秦の始皇帝がそれらの長城をまとめあげたという。

現存する長城の多くは明の時代に築かれ、近代に修復が施されたものという。ここ司馬台も、危険なために長く公開が中止され、修復工事が完了した2015年から公開が再開されたばかりだ。

公開範囲は見学用にかなり整えられてはいるが、床面は想像していたよりもゴツゴツとして、歩きやすいとはいえない。ハイヒールで立ち往生している婦人がいたが、無理だろう。登り降りを早々にあきらめていた。

城壁がつなぐ櫓(のろし台)の部分に入ってみると、それがより顕著になる。遠目には整っているように見えるが、近くで見るとかなり武骨な表情の建物だ。かつてはここに兵が駐屯し、北方から来る異民族を監視していたのだろう。軍事境界線の役割を果たす基地でもあった、その歴史の重みをしみじみ感じた。

本当にすばらしい。来てよかった。怖々歩いたけれども、それらの光景にただ見とれながら思うばかりであった。やはり、一生に一度は見ておくべき風景に間違いはなかった。

【文・写真/上永哲矢】
歴史著述家・紀行作家/温泉随筆家。神奈川県出身。日本全国および中国や台湾各地の史跡取材を精力的に行ない、各種雑誌・ウェブに連載を持つ。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『偉人たちの温泉通信簿』(秀和システム)など。