文/ 品川欣也 (東京国立博物館考古室長)
1975年、青森県田舎館村生まれ。自宅の近所から弥生時代の水田跡が発見されたことから考古学に関心を持ち、明治大学・同大学大学院で日本考古学を学ぶ。明治大学文学部助手、同大学校地内遺跡調査団調査研究員をへて、2009年から東京国立博物館に勤務。考古学の調査研究とともに、収集・保存・展示活用を行う。著作「土偶と石棒からみた縄文祭祀のゆくえ」『季刊考古学』第85号など。

古代史への誘い

自然を畏れ敬い、共生するなかで生まれたのが神話です。神話のもつ物語の豊かさは文化の豊かさの表れでもあります。令和2年(2020)は、日本最古の正史である『日本書紀』が編纂された養老4年(720)から1300年になります。

日本書紀の冒頭に記された国譲りの神話では、出雲大社に鎮座するオオクニヌシ(オオナムチ)は、「幽(ゆう)」とされる目に見えない神々の世界を司るとされています。一方、大和の地で天皇は、「顕(けん)」とされる目に見える人々が暮らす現実の世界を司るとされています。古代において「幽」と「顕」を象徴する出雲と大和は重要な役割を担ったのです。

画文帯神獣鏡 奈良県桜井市 ホケノ山古墳出土 古墳時代・3世紀 奈良県立橿原考古学研究所蔵

第1章 「巨大本殿 出雲大社」

縁結びのご利益を願うパワースポットとしてよく知られる出雲大社ですが、日本で最も古い由緒をもつ神社で、その創建は『古事記』や『出雲風土記』にも記されています。

平安時代中期の貴族の子弟に向けた教科書『口遊(くちずさみ)』には当時を代表する大きな建物が記され、大きな順に「雲太(うんた)」(出雲大社)、「和二(わに)」(東大寺大仏殿)、「京三(きょうさん)」(京都御所大極殿)が挙げられています。

古代には、出雲大社本殿は48mを超える高さを誇ったといわれていますが、本章では鎌倉時代に本殿を支えた巨大な柱「心御柱(しんのみはしら)」と「宇豆柱(うづばしら)」を初めて一緒に公開します。

「心御柱」と「宇豆柱」は平成12年(2000)に出雲大社境内の発掘によって確認され、鎌倉時代宝治2年(1248)の本殿跡のものと考えられています。柱は直径約1・3mの杉の大木を3本1組に束ねたもので、当時の本殿の大きさをしのばせるに十分なものです。この調査成果は出雲大社の宮司を務める千家家(せんげけ)に伝わる出雲大社本殿の平面図「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」の再評価も促しました。平面図には巨木を3本1組とする柱9本で支えられた様子が描かれており、柱部材の寸法や建具、費用負担についても記され、当時の造営の実状を知ることができる貴重なものです。

第2章 「出雲 古代祭祀の源流」

 出雲は弥生時代には稲作の伝播をはじめ、貝製の腕輪や祭りに使われた土笛(つちぶえ)など日本海を通した交流によって、独自の文化を形づくってきました。弥生時代を代表する祭りの道具と言えば、銅鐸たくや銅矛(ほこ)・銅剣・銅戈(か)といった武器形青銅器ですが、荒神谷遺跡(こうじんだに)では銅剣が358本、銅鐸が6個、銅矛が16本まとめて埋納されていました。それまで全国で出土した銅剣の総数約300本を上回る数であったこと、近畿を中心に分布する銅鐸と北部九州を中心に分布する銅矛が初めて、ともに出土したことからも大きく注目され、「定説を覆す」、「教科書を書き換える」発見として評価されています。他方、加茂岩倉(かもいわくら)遺跡からは39個の銅鐸が発見され、一括埋納された銅鐸の数としては最多を誇るものです。

本展では荒神谷遺跡からは銅剣・銅鐸・銅矛のうち計189点、加茂岩倉遺跡からは銅鐸30個を展示します。これだけの数がまとめて東京で展示されるのはおよそ20年ぶりです。

荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡から出土した銅矛や銅鐸は、北部九州や近畿との交流によって得られたものです。一方、銅剣や銅鐸には出雲ないしはその周辺で作られたものが含まれることから、独自の青銅器を作り、祭りを行っていたことが明らかになっています。

ところが、出雲では弥生時代後期になると他地域に先駆けて青銅器祭祀をやめ、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)と呼ばれる巨大な墓を舞台とした祭祀へと移り変わっていきます。この特徴的な形の墳丘墓の出現は、出雲を中心に山陰から北陸にかけての日本海沿岸に分布し、出雲が大和とは異なる祭祀文化を形成していたことを示すだけでなく、当地における「王」とも呼べる指導者の登場も表しています。

重要文化財 画文帯神獣鏡・三角縁神獣鏡(部分)奈良県天理市 黒塚古墳出土 古墳時代・3世紀 文化庁蔵(奈良県立橿原考古学研究所保管)

第3章 「大和 王権誕生の地」

大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が世界遺産登録への勧告を受け、今古墳時代に注目が集まっています。古墳といえば誰もが耳にしたことがあるのが鍵穴の形をした前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。大和の地に出現した前方後円墳は政治や権力の象徴で、王権の儀礼が繰り広げられた舞台でもあります。前方後円墳は墳丘形態や埋葬施設、そして副葬品などに共通の規格をもって各地に展開します。

三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は日本で最も有名な鏡のひとつです。三角縁神獣鏡のなかには中国魏の年号である景初3年(239)銘をもつものがあることから、中国の歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記されたように魏の皇帝が邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼(ひみこ)に送った銅鏡ではないかと考えられています。

黒塚古墳は全長約130mの前方後円墳で、その竪穴式石室からは被葬者の棺を取り囲むように三角縁神獣鏡33面が出土し、大和王権のなかで中枢を占めた人物の墓と考えられています。ひとつの古墳から出土した三角縁神獣鏡としては最多で、本展では黒塚古墳から出土した銅鏡を全てご覧いただけます。ヤマト王権は大陸との交流を通してさまざまな文物や技術を獲得し、そこで得られた舶載品やその模倣品を各豪族に与えることで王権の基盤を堅固なものとしていきましたが、その代表例が三角縁神獣鏡なのです。

重要文化財 円筒埴輪 奈良県桜井市 メスリ山古墳出土 古墳時代・4世紀
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵

第4章 「仏と政」

六世紀半ばに伝来した仏教などの先進的な文明によって、社会には大きな変化が生じ、古墳が果たした政治や権力の象徴としての役割は寺院が担うようなりました。仏教への信仰は天皇、貴族、地方豪族へと次第に広がりをみせ、飛鳥時代後期には全国各地に寺院が作られるようになりました。

朝廷は遣隋使や遣唐使がもたらした最新の知識を受け入れながら、新しい国の形を整えていきました。また仏教における鎮護国家の理念のもとに、四天王像のような国を守護する尊像を造らせ、寺院の造立を積極的に進めました。

當麻寺(たいまでら)は壬申(じんしん)の乱で功をあげた當麻真人国見(たいまのまひとくにみ)の氏寺として創建されました。金堂に安置される「持国天立像(じこくてんりゅうぞう)」は、四天王像としては法隆寺金堂の四天王像に次いで古く、7世紀後半に大陸から新たに導入された脱活乾漆技法(だっかつかんしつぎほう)で造られた像としてはわが国最古の例です。ひげをたくわえた凛々しい顔立ちと、静かなたたずまいが見どころです。

令和2年は『日本書紀』の編纂1300年を記念する年です。新元号「令和」への改元を迎え、2020年夏には東京オリンピック・パラリンピックも開催され、日本が国内外から大いに注目される時でもあります。この節目の年に多くのみなさまに特別展「出雲と大和」をお楽しみいただき、日本の文化をじっくりと振り返る機会にしていただければと思っています。

特別展
日本書紀成立1300年
出雲と大和

DATA)
東京国立博物館 平成館
会期:2020年1月15日(水)~3月8日(日)
[前期]1月15日(水)~2月9日(日)
[後期]2月11日(火祝)~3月8日(日)
開館時間/午前9時30分~午後5時 ※金曜・土曜日は午後9時まで開館(入館は閉館の30分前まで)
休館日/月曜日、2月25日(火) ※ただし、2月24日(月・休)は開館
観覧料金(税込)/一般1600円、大学生1200円、高校生900円ほか
アクセス/JR「上野駅」公園口より徒歩約10分
[展覧会公式サイト] https://izumo-yamato2020.jp/
お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)