41638ウイスキー税反乱、禁酒法の時代 アメリカ大陸でなぜバーボンは生まれたのか?(1920年~1933年)|whisky History

ウイスキー税反乱、禁酒法の時代 アメリカ大陸でなぜバーボンは生まれたのか?(1920年~1933年)|whisky History

男の隠れ家編集部
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アメリカのウイスキーといえば、日本でもおなじみのジム・ビーム、アーリータイムズといったバーボン。新大陸において、どんな経緯で生まれたのか。
目次

Q1.ウイスキー税反乱とは?

「ウイスキー戦争」ともいう。1791年にジョージ・ワシントン政権が国の負債を低減するために導入したウィスキー税に対する農民の反対運動である。間接的にバーボン・ウィスキーの誕生につながった。

Q2.禁酒法とは?

1920年から1933年まで続いた、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送などが禁じられた法律。敬虔なキリスト教徒らの運動が起こした。この影響で家族経営の醸造所や全国各地のバーが閉店した。

Q3.バーボンウイスキーとは?

アメリカ合衆国ケンタッキー州を中心に生産されているウイスキー。51%以上のトウモロコシをはじめ、ライ麦・小麦・大麦などを主原料とする。バーボンの名はフランスの「ブルボン朝」に由来。

酒税への反発から生まれた反骨のバーボンウイスキー

1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、イギリスやフランスをはじめとする西洋諸国の人々が入植し、次々と植民地をつくっていった。移民たちは植民地でとれた果物(ブドウ、モモなど)を使ったブランデーやラム酒を飲んだ。

穀物からウイスキーが造られるようになったのは1763年以降、新大陸を巡る英仏の争い、いわゆるフレンチ・アンド・インディアン戦争の後だ。英国が勝利し、スコットランドとアイルランドからウイスキーの蒸留技術を身に付けた人々が大勢で渡ってからになる。

内陸部ではライ麦がよくとれたので、そのまま穀物として使うよりも、ウイスキーに加工して保存するほうが収入につながったようである。

アメリカで最古のウイスキー造りは1776年、レキシントンに移住したジェームズ・ペッパーが蒸溜所を作ったことに始まるという。1789年、ジョージタウンではスコットランドからの移民であるエライジャ・クレイグ牧師、同年にケンタッキー州でダニエル・スチュアートが酒造を始めた。彼らは後にバーボンの始祖といわれている。

ちょうどアメリカ独立戦争が終わり、1783年にパリ条約が結ばれて「アメリカ合衆国」として正式に独立したばかりの頃である。それに伴ってアメリカ各地でウイスキー造りが盛んになっていく。

禁酒法によって廃棄される密造酒
禁酒主義活動の広まりもあって始まった禁酒法時代。違法となった酒造所に強制捜査が入り、酒が下水道に廃棄される場面が見られた。

ところが、それから間もない1791年、「蒸留酒類に対する物品税」が発布。独立戦争で多大な軍費を要したアメリカ政府は新たな財源確保のため、ウイスキーに目をつけた。果たして、これはスコッチ・アイリッシュたちの反発を生み「ウイスキー税反乱」が勃発したのである。

この戦争では、独立戦争をも上回る1万5,000人もの軍隊が動員され、数万人もの農民が西部のケンタッキー、テネシーなど行政の力が及ばない地へ逃れた。彼らはそこでウイスキー造りに適した湧き水(ライムストーンウォーター)と出会い、収穫しやすいトウモロコシを原料とするウイスキー造りを始めた。独立戦争でのフランスの助力に感謝し、ケンタッキー州の一部にブルボン(バーボン)家の名が冠されて、この地を発祥とするバーボンが誕生していくのである。

ジョージ・ワシントンとウイスキー

軍を指揮するワシントン。引退後に住んだマウントバーノンの農場にある蒸溜所跡は博物館になっている。

アメリカ初代大統領で建国の父とされる、ジョージ・ワシントン(1732〜1799)は、ウイスキーに課税して「ウイスキー税反乱」を引き起こしたが、自身もウイスキー好きであった。独立戦争で軍を指揮する間、指揮官らにウイスキーを用意し、疲労を癒すよう言ったという。任期終了後、彼は引退した農場に蒸溜所を作っている。

文◎上永哲矢

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