信濃と美濃の境に位置することから、甲斐の武田氏、尾張の織田氏などから狙われた岩村城。弘治元年(1555)に武田氏が侵攻すると、城主だった遠山氏は武田の配下となった。
しかしその後、遠山景任(かげとう)が病没すると城主は不在となり、織田信長は城に五男の御坊丸を養子として送り込む。その時、後見人になったのが信長の叔母・おつやの方だが、実質的な采配を振るったことから”おんな城主”ともいわれた。
江戸時代に近世城郭として整備。現在の遺構は主にその時代のもので、雛壇状の六段壁と呼ばれる石垣、本丸西面の高石垣といった壮大な石垣などの見どころが多い。
防御のためにくねくねと曲がる石畳の登城道も歩き応えがあり、登るほどにその壮大さを実感。備中松山城、大和高取城と並ぶ日本三大山城のひとつに数えられている。
写真:渡會充晃(岩村醸造)
岩村城(いわむらじょう)
築城年:承久3年(1221)
主な城主:遠山景朝
▶︎こちらもおすすめ「関東でも有数の堅城。広大な敷地に広がる空堀や土塁を見ながら散策したい「鉢形城」(埼玉県・寄居町)|山城を旅しよう」