時に雲海に浮かぶ幻想的な姿が見られることから、”天空の城”、”日本のマチュピチュ”などともたとえられる竹田城。嘉吉3年(1443)、但馬の山名持豊が、家臣の太田垣氏に命じて標高353mの古城山山頂に築かせた山城だ。
その後、羽柴秀吉の但馬侵攻によって落城すると、大坂城防衛のために改築され、関ヶ原の戦いの後に廃城となった。その当時の姿が今に残されている。それは登城口から山頂へ登っていくほどにその巧みな縄張りや堅牢な石垣に見ることができる。
敵の侵攻を阻む虎口や横矢掛かりなど防御機能は、まさに実践を想定した戦いのための仕掛け。山頂に広がる中核部は、天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射状に配され、各所からは城下の町並みや周辺の山々など、天空の城にふさわしい大パノラマが堪能できる。
竹田城(たけだじょう)
築城年:永享3年(1431)
主な城主:太田垣氏
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