商家町として栄えた岩村城の城下町。江戸の風情が今も見られる。

信濃と美濃の境に位置することから、甲斐の武田氏、尾張の織田氏などから狙われた岩村城。弘治元年(1555)に武田氏が侵攻すると、城主だった遠山氏は武田の配下となった。

本丸西面の高石垣。本丸西多門や二重櫓などがあった。

しかしその後、遠山景任(かげとう)が病没すると城主は不在となり、織田信長は城に五男の御坊丸を養子として送り込む。その時、後見人になったのが信長の叔母・おつやの方だが、実質的な采配を振るったことから”おんな城主”ともいわれた。

本丸北東面に雛壇に築かれた6段の見事な石壁。岩村城のハイライト的な場所で、六段壁は崩落の危険を防ぐための補強の石垣として組まれたもの。

江戸時代に近世城郭として整備。現在の遺構は主にその時代のもので、雛壇状の六段壁と呼ばれる石垣、本丸西面の高石垣といった壮大な石垣などの見どころが多い。

本丸埋門に残る門柱の礎石。

防御のためにくねくねと曲がる石畳の登城道も歩き応えがあり、登るほどにその壮大さを実感。備中松山城、大和高取城と並ぶ日本三大山城のひとつに数えられている。

二重櫓2基、多門櫓2基などがあった本丸。中央に施設はなく、詰めの空間だった。
霧が発生することも多く、別名“霧ヶ城”とも。登城口から本丸へは登り約30分。

写真:渡會充晃(岩村醸造)

岩村城(いわむらじょう)
築城年:承久3年(1221)
主な城主:遠山景朝

▶︎こちらもおすすめ「関東でも有数の堅城。広大な敷地に広がる空堀や土塁を見ながら散策したい「鉢形城」(埼玉県・寄居町)|山城を旅しよう」