武士の時代、家督を継げないのは自らの存在価値を否定されたのに等しい。我が子の無念に母の霊が動いた。

家康の妹・松姫伝説の真実

天文10年(1541)に松平広忠に嫁し、翌年には後の天下人・徳川家康を産んだ於大(おだい)の方。しかし父方の水野氏が織田氏に加担したため、今川方だった広忠から離縁され、実家に戻ってしまう。その後、久松俊勝に再嫁し三男四女をもうけた。そのうちのひとりが、松姫である。

永禄10年(1567)、6歳で仁連木(にれんぎ)戸田氏の家督を継いだ戸田康長に、家康は5歳の松姫を許嫁とするよう命じた。そして天正6年(1578)になると、松姫は康長の許に輿入れし、正室となった。

母親譲りのふくよかな美人であった松姫は、康長との夫婦仲も良好であったと伝わっている。だが長男の永兼(ながかね)を産んで間もない天正16年(1588)、わずか24歳で亡くなった。

元和3年(1617)になると、康長は新たに松本城主となった。だが松姫が産んだ永兼は病弱だったため、家督は側室の子であった康直が継ぐこととなった。すると戸田家には不幸な出来事が続いたのである。

松姫は戸田氏が松本城に入る前に亡くなったにもかかわらず、永兼の処遇を恨んで松本城の堀に身投げしたという噂が広がり、不幸は松姫の祟りといわれるようになった。いまも松本神社には松姫や永兼が祀られている。

戸田光重は叔父のたたりを恐れ、その霊を陽谷霊社に祀った。それがいつの頃からか、松姫のくやしい思いが悪霊となったとされ、陽谷様は松姫のことだと伝えられた。

【データ】
城郭構造:梯郭式+輪郭式平城
天守構造:後期望楼型(1593年頃か)、連結複合式5重6階(1633年改)
築城主:石川数正・康長父子
築城年:1593年(文禄2年)
主な城主:小笠原氏、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏、戸田氏
遺構:現存天守、石垣、土塁、堀、二の丸土蔵

長野県松本市丸の内4-1
TEL:0263-32-2902
開館時間:8:30~17:00
休館日:年末(12月29〜31日)を除き無休
入館料:700円
アクセス:JR「松本駅」より徒歩約20分

文/野田伊豆守 写真提供/松本城
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