大垣空襲で失われた西美濃の大規模要塞

城主は短期間で代わり、その傾向は豊臣の時代にも続き、宿老の立場にいた池田恒興などが城主となった。しかし、天正13年(1585)に起こった天正地震で城は全壊焼失してしまう。

南西から見た城の景観。櫓群が天守閣を囲むように配されている。 明治初期の写真。
大垣市立図書館

その後、改築が行われ、本丸と二の丸を並べ、その回りに三の丸をはじめとした曲輪群が完成した。関ケ原の戦いの後も目まぐるしく城主が代わったのは、幕府がそれだけ大垣城を重要視していたから。

南面から見た本丸。左手に天守閣と西附多門など。中央に七間多門が見られる。
大垣市立図書館

明治になり破却を免れ旧国宝にも指定されていたが、太平洋戦争時の空襲で焼失。往時の姿は郡上八幡城再建のモデルとなった。

おおがきじょう
築城年/天文4年(1535) 廃城年/明治4年(1871)
主な藩主/竹腰氏、松平忠良、戸田氏鉄 藩名/大垣藩
構造/連郭輪郭複合式平城、複合式層塔型3重4階
遺構/石垣、曲輪 住所/岐阜県大垣市郭町