天守と走長屋、左に黒鉄門がある。写真/会津若松市教育委員会

会津戦争の激しさを物語る役目を全うした赤瓦の城

会津を治めた大名を戦国時代から挙げると、葦名、伊達、蒲生、加藤、上杉、保科、松平となる。そのなかで明治時代まで続く会津若松城の基礎を築いたのは蒲生氏郷で、7重の天守を備える大城郭を造った。

ついで加藤氏が会津に入り、慶長16年(1611)の会津地震で倒壊した天守を、5重の天守に改修している。これが、明治の廃城前までの会津若松城となる。


天守の右前には本丸御殿小書院が、左には大書院があった。写真/会津若松市教育委員会

会津若松城が戊辰戦争で新政府軍の猛攻を受けたのは慶応4年(1868)のこと。新政府軍は城の東南にあたる小田山に50門もの大砲を並べ、250発以上の砲弾を城内に打ち込んだ。

城を直撃した砲弾もあり、見るも無残な姿となってしまったが、それでも会津若松城は崩れ落ちなかった。

会津若松城 あいづわかまつじょう
築城年/至徳元年(1384)
廃城年/明治7年(1874)
主な藩主/保科正之、松平容保
藩名/会津藩
構造/梯郭式平山城、層塔型5重5階
遺構/石垣、土塁、堀
住所/福島県会津若松市追手町

文/相庭泰志
写真/会津若松市教育委員会