西国街道と瀬戸内の要衝を守る
家康の従兄弟が築いた城

昭和10年( 1935 )頃の天守閣。写真:福山城博物館

歴史をさかのぼれば、福島正則の改易後、徳川家康の従兄弟にあたる水野勝成が領主となり、5重の天守と20を超える櫓を持つ城が築かれた。10万石の石高とは比較にならない大きな城だった。西国街道と瀬戸内海の要衝の地にあり、毛利氏など西国外様大名に対する抑えとして徳川幕府が重視したからだった。

明治15 年( 1882 ) 頃の福山城と城下町の様子。2重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河を持つ海城として知られていた。最後の藩主・阿部正桓が撮影。写真:福山城博物館

一方、徳川の血を引く主君が治める譜代であったため、幕末の第二次長州征伐に従軍するなどしたが、王政復古後は朝敵と見なされ新政府軍の攻撃を受けた。焼失前の天守にはこの時の弾痕が残されていたとされる。そして、太平洋戦争末期の米軍による空襲で、天守をはじめとする多くの文化財を焼失した。

それから9年後の昭和29年(1954)、伏見櫓の解体修理の際、ある発見がもたらされた。梁に「松ノ丸ノ東やぐら」の印刻が見つかり、伏見櫓が京都の伏見城から移建されたものであることが明らかになったのだ。

ふくやまじょう
築城年/元和8年(1622)
廃城年/明治7年(1874)
主な藩主/水野勝成、阿部正弘
藩名/福山藩
構造/輪郭式平山城、
複合式層塔型5重6階
遺構/櫓、門、鐘楼、石垣
住所/広島県福山市丸之内

文/相庭泰志
写真/福山城博物館