14852毛利輝元が河口デルタに築城。大天守と櫓88基がそびえた「広島城」(広島県広島市)|〈古写真で見る失われた名城〉

毛利輝元が河口デルタに築城。大天守と櫓88基がそびえた「広島城」(広島県広島市)|〈古写真で見る失われた名城〉

男の隠れ家編集部
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「広島城」は天正17年(1589)、毛利輝元によって築城された。地盤の軟弱さに苦しんだというが、輝元は2年後には入城を果たしている。
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総石垣の平城の城主は毛利、福島氏ともに敗者となった

中国地方9か国112万石を領有した、後の豊臣五大老のひとり、毛利輝元が豊臣秀吉に謁見した際に見たのは、大坂城や聚楽第の荘厳な姿だった。

輝元は、中国地方一帯を治めるに相応しい城と城下町建設を心に誓い、場所を太田川河口のデルタ地帯に定め、本丸と二の丸部分を総石垣とした平城の築城に取りかかったのだ。

しかし、関ヶ原の戦いで西軍の総大将だったことから輝元は敗者となり、広島城を追われた。

ついで城主となった福島正則は城の増強を図ったが、徳川政権に石垣の無断修復を咎められ改易されてしまう。その後を継いだのが浅野氏である。

広島城|ひろしまじょう
築城年/天正17年(1589)
廃城年/存城、原爆投下で倒壊
主な城主/毛利輝元、福島正則
藩名/広島藩
構造/輪郭式平城、複合連結式望楼型5重5階
遺構/石垣、堀
住所/広島県広島市中区基町

文/相庭泰志
写真/広島城

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