急勾配の「見返り坂」を上ると美しい弧を描く高石垣が登場

水を湛えた内堀に浮かぶように、精緻に積まれた4層の石垣がそびえ立っている。その総高は60mを超え、日本一とも称される。大手門外・西寄りの位置から眺める丸亀城の高石垣は、中世ヨーロッパの古城にも似た、圧巻の威容を誇っていた。

大手門のやや西側から見た丸亀城。全体を撮るならここからがベスト。

「城の築かれた亀山には樹木が茂っていたんですが、切り倒して山を丸裸にし、石垣を積んでいったんです」

丸亀市観光協会の佐々木茂樹さんの解説を聞き、さぞかし大変な作業だったのだろうと想像する。石は瀬戸内海の本島や広島から船で堀まで運び、きちんと図面を引いて精緻に積み上げたという。多くの人々の汗と、高度な技術力を結集した石の要塞だ。

織田信長、豊臣秀吉に仕え頭角を現した武将・生駒親正は天正15年(1587)に讃岐国主となり、高松城を本城とした。しかし、西讃岐に睨みを利かすため、慶長2年(1597)に丸亀城の築城に着手。ところが元和の一国一城令によって、元和元年(1615)に丸亀城は廃城となってしまう。

その後、寛永17年(1640)に生駒氏がお家騒動で転封となると讃岐の国は二分され、山崎家治が西讃岐5万3000石の領主となる。

彼は築城の名手で、大坂城築城工事では天守・本丸・二の丸の石垣構築に携わった。その名手が丸亀城の再興に取り組み、圧巻の石垣を築き上げたのだ。現存する石垣の約8割が家治時代のものという。

ところが、城の完成を見ないまま、慶安元年(1648)に彼はこの世を去った。しかも跡継ぎが相次いで病死したため、山崎氏は断絶する。丸亀城の天守が完成したのは万治3年(1660)。新たに丸亀6万67石の藩主となった京極高和の時代のことだ。

「門瓦や鬼瓦などには京極氏の家紋、四つ目結紋が付いています。まずは城内へ入りましょう」と佐々木さんに導かれる。北入口で最初にくぐるのは「大手二の門」。

現存天守の城のなかで、大手門が残っているのは弘前城と高知城、丸亀城だけだ。二の門の城壁には狭間があり、攻め入ると矢や鉄砲の洗礼を浴びることになる。ここを通過しても閉鎖区間の枡形に立つことになり、三方から攻撃を受けてしまう。

続いて通るのは「大手一の門」。太鼓門とも呼ばれ、上の渡櫓で時報用の太鼓が叩かれたという。渡櫓に入ってみると本当に太鼓が置かれており、実は現在も正午になると叩いているという。外からは気付かなかったが石落もある。敵にはわからない隠石落だ。

この門から天守を目指すには左手にある「見返り坂」を上るのだが、10度という急勾配のため途中で少し息が切れる。傾斜が急で振り返りたくなるのが坂名の由来と聞いて納得した。

「運動部の学生さんは、ここを走って鍛えるんですよ」と事もなげに言う佐々木さん。「よし、頑張ろう」と運動部の学生のように気合を入れる。すると右手に三の丸の石垣が姿を現した。

城下から立派に見えるよう装飾に工夫を凝らした天守

「扇の勾配」と呼ばれる曲線美を誇る三の丸の石垣。隅石は斜め上へ傾斜をつけて積まれている。計算された積み方だ。

「曲線の美しさからこの石垣は『扇の勾配』と呼ばれていて、高さは22mあります。石はまっすぐ平らに積まれていますが、端へ行くと上向きに積まれている。崩れにくくするための技法で、図面を引いて組んでいるんです」

なだらかな弧を描く石垣は上へ行くほど垂直になり、きれいに反り返って見える。改めて、築城の名手と言われた山崎家治の力を思い知った。

それにしても、なぜ丸亀城の石垣はこれほど見事なのだろう。総高60m以上で日本一とも言われる4層の石垣は、5~6万石クラスの大名には過ぎたるものではなかったのだろうか。

「当時、島原の乱が起こったこともあって、幕府は外国船の運航や一揆に神経を尖らせていました。要所である瀬戸内海を監視するために、家治によって丸亀城は再興されたのです」

佐々木さんの答えを聞き、納得がいった。家治は大坂城などの石垣建設で幕府に能力を高く評価され、島原の乱後、肥後天草4万石の藩主となった。

ここで乱後の富岡城の再建や天草の復興に取り組み、さらに力が認められて丸亀藩主となったのだ。彼は城の再興を許されただけでなく、銀300貫を与えられ、参勤交代も免除された。

瀬戸内海に睨みを利かせたというだけに、城からの眺望は素晴らしい。海側に目をやると、瀬戸大橋や本島、遠くには広島などが一望できた。

「讃岐富士」と呼ばれる飯野山。

二の丸で深さ65mもある深井戸を眺めたりしながら本丸へ上ると、高さ約15mの天守が佇んでいる。入口のある西側は幅9mで、正面となる北側の幅11mより狭く、天守は長方形になっている。

しかも、幅が長い北側には唐破風や入母屋破風が施されているのに、狭い西側には装飾が一切ない。

天守の西側。北側(正面)とは対照的に装飾がほとんどない。左下が入口。

「城下から大きく立派に見えるように、正面に装飾を施しているのです」と佐々木さん。天守の内部に入ると天井が高く、長押の高さまで漆喰を厚く塗って防御性を高めてある。

柱が多いのも印象的で、1階には50本あるという。急な階段を上り、2階を経て最上階へとたどり着くと、海風がそよぎ、海が間近なのを改めて感じる。

2階の入側柱。3本で構成されるのは珍しい。この上に梁をかけて隅の出梁を支えているという。

窓から北を見ると、城下町らしく整然と道が走り、その向こうには丸亀港と瀬戸内海が青くきらめいていた。

ところで、丸亀城は平成30年(2018)の台風で帯曲輪・西面石垣と三の丸坤櫓跡石垣が崩落。現在、復旧作業が進められており、令和6年(2024)3月31日に完了する予定だ。

丸亀市は復旧工事の概要などを説明する「PR館」を城内に開設。屋上からは復旧現場も見渡せる。インターネットでも経過を伝え、「見せる工事」で集客増を狙っている。

実際、平成30年度の来城者数は過去最高を記録。貴重な石垣修復の現場を見に、今だけの丸亀城へ足を運んではいかがだろうか。

まるがめじょう
香川県丸亀市一番丁
TEL:0877-22-0331(丸亀市観光協会)
開館時間:9:00〜16:30(入館は16:00まで)
休館日:なし 入場料:大人200円ほか 
アクセス:JR「丸亀駅」より徒歩約10分

※開城時間等についてはHP等で要確認。

文/浅川俊文 撮影/池本史彦