15379全国的にも類を見ない3階櫓の3匹の鯱「新発田城」(新潟県新発田市)|〈古写真で見る失われた名城〉

全国的にも類を見ない3階櫓の3匹の鯱「新発田城」(新潟県新発田市)|〈古写真で見る失われた名城〉

男の隠れ家編集部
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新発田城は初代藩主・溝口秀勝が慶長7年(1602)に築城を開始。56年の歳月をかけ三代藩主の時に完成した。本丸、二ノ丸、三ノ丸を備え、新発田川の水を巡らせた平城である。
目次

本丸表門と辰己櫓。橋の上を人が行き交っている写真/新発田市教育委員会

櫓の復元に役立った新発田市保管の古写真


三の丸の大手門を守る役割を担っていた鉄砲櫓。写真/新発田市教育委員会

11棟の櫓と5棟の門が並び、寒さに対処するため、北国の城特有のなまこ壁が施されていた。また、約350mにもおよぶ石垣は〝切込接ぎ〟という技法で隙間なく噛み合うように石が積まれ、美しい景観を誇っていた。

特質すべきは、延宝7年(1679)頃に造営されたと伝えられる、天守閣の代わりを果たしていた3階櫓。南北と東へ棟を伸ばした最上階の丁字型の入母屋には、全国的にも例をみない3匹の鯱が配されていた。

なぜこのような特殊な屋根の形にしたのか。そもそもなぜ3匹の鯱を飾ったのかという理由については、現在も謎のままだ。

江戸時代には改易や転封される大名が多かったが、溝口氏は新発田城を居城として十二代まで存続し、河川の改修や新田の開発に努め、明治維新を迎えた。

残念なことに新発田城は表門と二の丸隅櫓、石垣を残して明治時代に解体されたが、3階櫓と辰巳櫓が復元された際、役立ったのが新発田市が保管していた古写真。


二ノ丸搦手西之門。写真/新発田市教育委員会

これらの貴重な古写真は、新発田に初めてできた写真館が撮影したといわれている。

新発田城 しばたじょう
築城年/慶長7年(1602)
廃城年/明治6年(1873)
主な藩主/溝口秀勝、溝口宣直
藩名/新発田藩
構造/平城、御三階櫓複合式層塔型3重3階
遺構/櫓、長屋、門、石垣、土塁、堀
住所/新潟県新発田市大手町

文/相庭泰志
写真/新発田市教育委員会

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